ワクワクする「名言」で1ミリ前進

毎日を1ミリでもワクワクに。気楽に読める内容です。

「大きな差を生む小さな違い」はあなたが普段発する言葉

普段自分が使う言葉が、自分自身を創るとは良く言われます。

その言葉がネガティブなのか、平凡なのか、それともポジティブなのかで未来の自分へ影響すると言われたらどうしますか?

 

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ジェフ・ケラーさんの著書より引用させていただきますと以下の通りです。

ネガティブ、平凡、ポジティブの各カテゴリーの典型的な答え方について調べた。
あなたはこれらのセリフのうち、どれを最も頻繁に使っているだろうか。
あなたの友人や家族はどういう答え方をしているだろうか。


もし自分がネガティブか平凡なグループに入っていることに気づいたなら、答え方をすぐに改めてポジティブなグループに入ることを考えよう。
理由はこうだ。
「調子はどう?」と聞かれて、「ひどいもんだ」とか「あまりいい気分じゃないよ」などと答えれば、生理的に悪影響が出る。
肩が落ち、首がうなだれ、落ち込んでいる姿勢になりやすい。


感情面ではどうだろうか。
「最低の気分だ」と言ったあとで、あなたは気分がよくなるだろうか。
もちろん、そんなことはない。

ネガティブな言葉と思考はネガティブな感情を生み、やがてネガティブな結果を生じる。
だから、あなたはさらに気分が滅入ってくるはずだ。


それを断ち切るかどうかは、あなた次第だ。
前途有望なビジネスの取引が破談になったとか、子どもが学校で悪い成績をもらったなど、「最低の気分だ」と言いたくなる状況が現実に存在しても、ネガティブな心の姿勢では状況を改善できない。

さらに悪いことに、あなたの平凡かネガティブな答え方はまわりの人びとをうんざりさせてしまう。
あなたのまわりにいてあなたの悲劇的な言葉を聞いているだけで、人びとは気分が滅入ってしまうのだ。

 

ネガティブな結果がすべて自分の言葉から生じるなら、なぜそのような言葉を使い続けるのか。

理由は、言葉とその結果を自分自身が選択できるということを認識していないからだ。
身についた習慣に従っているだけなのだ。
何の役にも立たない習慣なのに…。


あなた自身の言葉が現実になる。

もしあなたが「何もかもひどい」と言えば、あなたの心はその言葉を実現するような人や境遇に引きつけられる。
その反対に「人生は素晴らしい」と何度も繰り返して言えば、あなたの心はポジティブな方向に進み始める。


たとえば、「素晴らしい」とか「最高だ」と答えるとき、何が起こるか考えてみよう。
これらの言葉を口にすると、あなたの生理機能はその楽天的な言葉に合わせる。

体調がよくなり、動作がきびきびする。
表情はいきいきとしてくる。

まわりの人はあなたのエネルギーとバイタリティに引きつけられる。
職場や私生活での人間関係は改善される。


これは、「大きな差を生む小さな違い」のひとつであると断言できる。

15年ほど前、私は元気なさそうに「まあまあだよ」と答えていた。

これが何を意味するかは、もうおわかりだろう。

私は「まあまあ」の人間関係を築き、「まあまあ」の成功を収め、「まあまあ」の心の姿勢で、「まあまあ」の人生を送るように設定していたのだ。


しかし、私は幸運なことに、「まあまあ」の人生で妥協する必要はないことを学んだ。

そこで、数段階レベルアップし、「絶好調だ」と答え始めた。
しかも、元気よく言った。


最初は少しぎこちなかったし、奇異な目で見る人もいた。
しかし、一週間もすると板についてきて、すごく気分がよくなったし、みんなが私と話すことに興味を持ってくれるようになった。
私はこれには驚いた。


これはけっして複雑で高度な技術ではない。
心の姿勢をポジティブにするためには、才能もお金もルックスもいらない。
ポジティブで元気のいい答え方をする習慣を身につけさえすれば、私と同じようにエキサイティングな結果が得られるのだ。


『できる人とできない人の小さな違い』ディスカヴァー

できる人とできない人の小さな違い

 

「もうかりまっか?」

「ボチボチでんな」
とか
「体調はどうですか?」
「まあ、なんとかやってます」
とつい答えたくなります。

 

しかし、ここで「おかげ様で絶好調です!」と、から元気だろうがなんだろうがお腹から声を出すだけで、自分が変わるんですね。


確かに、プラシーボ効果というのもあり、薬だと思い込ませれば、飴ちゃんでも元気になってしまうほど、脳は思い込みや錯覚に影響されるものですものね!


今後は「常に絶好調!」を口ぐせにしていきたいものです!

 

シェイクスピアさんの名言
『私はクルミの殻の中に閉じこめられた小さな存在にすぎないかも知れない。しかし、私は自分自身を無限に広がった宇宙の王者と思いこむこともできるのだ』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

パラダイムシフトするのはどんな人?

パラダイムシフト、今時代はかつてない早さで変化していると言われます。

どのくらいの変化なのかは様々なジャンル·分野によって多少の差はありますが、地動説のような世界が変わる大きな変化の時なのかも知れません。

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瀧本哲史さんの著書の中ではこのパラダイムシフトするのは、伝統に縛られない人と書かれております。

コペルニクスは地動説という、まさに世界がひっくり返るくらい大胆な新説を唱えました。
そして、コペルニクスの地動説はたんなる新説ではなく、動かしがたい事実でした。

実際、いまのわれわれは地動説の正しさをよく知っています。
それではいったい、当時の人々はどうやって地動説を受け入れていったのでしょうか。


20世紀を代表するアメリカの科学史家、トーマス・クーンはコペルニクスの時代を丹念に研究した結果、驚くべき結論にたどり着きました。

コペルニクスの地動説は、彼の死後1世紀あまり、ほとんど賛同者を得られなかった。
ニュートンの仕事も、主著『プリンキピア』が出てから半世紀以上、一般の支持を得られなかった。
ダーウィンの進化論だって、すぐに受け入れられたわけではない。


それでは、こうした世界をひっくり返すような新説は、いつ、どのタイミングで、どのようにして受け入れらえていくのか?


彼の結論は「世代交代」です。

つまり、天動説を信じる古い世代の大人たちは、どれだけたしかな新事実を突きつけても、一生変わらない。
なにがあっても自説を曲げようとしない。

地動説が世のなかの「常識」になるのは、古い世代の大人たちが年老いてこの世を去り、あたらしい世代が時代の中心に立ったときなのだ。

「世代交代」だけが、世のなかを変えるのだ。

 

トーマス・クーンは、これを「パラダイム」という言葉で説明しました。
パラダイムとは、簡単にいうと「ある時代に共有された常識」といった意味の言葉です。
文明とは、ゆるやかなカーブを描くように少しずつ発展していくものではない。


それまでの常識(パラダイムA)が、あたらしい常識(パラダイムB)に打倒されたとき、時代は次のステージに突入する。
さらにパラダイムBが、もっとあたらしいパラダイムCに打倒されたとき、時代はもう一段上のステージに突入する。

そして古いパラダイムが、あたらしいパラダイムに移り変わる(パラダイム・シフト)ためには「世代交代」が必要である。
古い世代の人たちに世界を変える力はない。


トーマス・クーンは『科学革命の構造』という著書のなかで、次のように結論づけています。

「このようなあたらしいパラダイムの基本的発明を遂げた人は、ほとんど、非常に若いか、パラダイムの変更を促す分野にあたらしく入ってきた新人かのどちらかである」

「明らかに彼らは、通常科学の伝統的ルールに縛られることがなく、これらのルールはもはや役に立たないから外のものを考えよう、ということになりやすい」


『ミライの授業』講談社

ミライの授業

 

春はどんどん新しい若者やルールに縛られない新人さんがやってくる時ですね。

自分や組織が持つ古い価値観を押し付けるのではなく、新しい考えや行動を応援し、それぞれが持つ強みや思考を取り入れる事も、素晴らしい未来にする為に大事なことなんだと思います。


ニーチェさんの名言
『世界には、君以外には誰も歩むことのできない唯一の道がある。
その道はどこに行き着くのか、と問うてはならない。
ひたすら進め』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

エッセンシャル思考って?

自分の周りには余計なものや事に溢れていると感じることはありますか?

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グレッグ・マキューンさんはその点につい「エッセンシャル思考」という考え方を語っています。

行動を取捨選択できるようになると、すべてが変わる。
ひとつ上のレベルの生き方が手に入る。
不要なものを捨てる生き方は、自由だ。
もう誰かの思惑に振りまわされることもない。
自分で選べるのだ。


この最強の武器があれば、仕事や生活で最高のパフォーマンスが出せる。
それだけでなく、世の中に貢献ができるようになる。


もしも学校のつまらない課題をやめて、もっと世の中の役に立つことをやったらどうなるだろう。

世界を良くするために何ができるかを考え、不毛な競争のかわりに未来を見据えた大人になるとしたら?


もしも仕事から無駄なミーティングが消えて、その代わり重要なプロジェクトを前に進めることができたらどうだろう。
どうでもいいメールのやりとりや無意味な作業がなくなり、会社の利益と自分のキャリアにとっていちばん役立つ仕事に専念できるとしたら?

もしも世の中が、無駄なものを買えと急き立てる代わりに、じっくりものを考える余裕を与えてくれたらどうだろう。

好きでもない人のためにいやなことをやったり、いらないものを買ったりすることが、馬鹿げたことだと言われるようになったら?


もしも「たくさん」よりも「少し」のほうが評価されるようになり、忙しいことが有能のしるしでなくなったら?

その代わりにじっくりと話を聞き、思索し、心を静め、大切な人たちと時間を過ごすことが評価されるようになったらどうだろう?

そんな世界が、目に浮かぶ。
他人の期待に合わせるのではなく、自分に正直に生きる勇気を手に入れた人びとの姿。
子供も大人も、社員も経営者も、誰もが自分の能力を最大限に生かし、有意義な生活を送っている。

そこでは誰もが自分の本当にやるべきことをやっている。
意味のある会話が生まれ、やがて大きなうねりになっていく。


まだ迷っているなら、人生がいかに短いかを考えてみてほしい。
残されたわずかな時間を、いったいどのように使いたいのか。


メアリー・オリバーの有名な詩の一節を引用しよう。

「教えてください、あなたは何をするのですか。その激しくかけがえのない一度きりの人生で」


『エッセンシャル思考』かんき出版

エッセンシャル思考 最少の時間で成果を最大にする


「エッセンシャル」の意味は、「欠くことのできない」とか「非常に重要な」という意味だそうです。

著者のグレッグ・マキューンさんは著書の中で、『エッセンシャル思考とは、まさに「より少なく、しかしより良く」を追求する生き方だ。』
と語っています。

ただ少なくする、減らす、または物を断捨離するだけではなく、より良く生きること為にこの思考を実践していくことは大切なんですね。

長いようで短い自分の人生を有意義に過ごすのか、惰性で過ごすのか、それを選ぶのも自分自身。
かけがえのない人生を愉しく過ごしたいものですね!

 

ナポレオン·ボナパルトさんの名言
『お前がいつの日か出会う禍は、お前がおろそかにしたある時間の報いだ』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

「仕事は嫌いだけど、お金は好き」っていう人がいるけど、それは無理。


仕事とお金の関係性はどのようなものでしょうか?

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仕事は好きだけど、お金は嫌いという人はいないと思います。
逆に仕事は嫌いだけどお金は好きという人はかなりいますが、それは無理があると斎藤一人さんは言っています。
じゃあどうするのが良いのか?
その点を本より引用させていただきましょう。

「お金を引き寄せたい」っていう人だったら、お金が好きなんだよね。

だけど、お金を生み出すのは、仕事なんだよ。
だから、仕事を引き寄せたかったら、「仕事が大好きです」って言えばいいの。


言霊っていういのは、おもしろいものなんです。
そんなに仕事が好きじゃなくも、「あなたがいちばん好きなのは何?」って聞かれたときに、「私は仕事が大好きなんです」って答えてると、仕事の神様から好かれます。


いいかい?
仕事から好かれるんだよ。


そして、いい仕事をしていれば、お金って入ってくるようになってるんだよね。


よく、「仕事は嫌いだけど、お金は好き」っていう人がいるけど、それじゃあ無理なんだよ。
道理から外れてるし、あたりまえから外れてるんだよな。

だから、お金は生み出せない。


わかるかい?

 

簡単な話。
お金が好きなら、仕事が好きになればいいんだよ。


で、「仕事が大好きです」って言ったら、そういう人には、仕事が寄ってくるの。

しかも、仕事が好きだと言っているうちに、ほんとうに、だんだん仕事の中に喜びが見えてくるから、不思議なんだよね。

 

あのね、世界一の大金持ちでも、仕事してるんだよ。
一生使い切れないお金を持っている人でも、仕事をしてるの。
それは、好きなものが寄ってくるようになってるからなんだよね。


だから、遊びが好きな人には、遊ぶことばかり寄ってくるんです。


で、お金を呼び寄せたいんだとしたら、もうかる仕事がいちばんいいんだってことを知ること。


なぜかというと、悪いことをしてないかぎりね、もうかる仕事っていうのは人に支持されているあかしだから。
人に喜ばれて、支持されたら、売れるようになるのは決まってるんだよね。


いい仕事を呼び寄せたかったら、仕事を大好きになること。
そうすれば、いい仕事もできるようになるよねっていう話なんです。


あたりまえにしていれば、あたりまえのものが来る。
嫌々仕事をしていると、嫌な仕事が来るようになってるんだよね。


いいかい。


誰かに「何がいちばん好きですか?」って聞かれたら、まずは「仕事です」って言うんだよ。

で、つりが好きなら、「2番目に好きなのは、つりです」って言うの。


よくね、好きなものを聞かれると、すぐに「つりです」とか言っちゃう人がいるけど、つりをするお金は、仕事から得られるんだよ。
仕事もしないで、つりだけしていたいのなら、漁師になればいいんだよね。


いちばん大事なものは、お金を生み出すもの。


「家庭が第一」っていうのはカッコいいけど、その家庭だって、お金がなきゃ守れないよ。
ほんとうに家族を守っているのはお金だし、それは仕事なんだよ。


案外、家庭が第一って言ってる人ほど、実は、いちばん女房に嫌われているかもしれないよ。

「家にいないで、とっとと働きに行けよ」って(笑)。


私は中学校を卒業して社会に出たときね、いちばん最初に考えたことがあるんです。

何を考えたのかっていうと、どうしたら働かないでお金が稼げるかってこと。


その頃、私は、自分のことを天才だと思ってたんです。
だけどね、どんなに考えても、働かないで食べていける方法が見つからなかったの。


こんなに頭のいい人間が考えても、答えが見つからないんだったら、次の方法は、楽しく働くことしかないんだよね。


笑いながら、楽しく働く。


それを実践したら、うまくいくようになったんです。


斎藤一人 ゆるしてあげなさい』(高津りえ著)マキノ出版

斎藤一人 ゆるしてあげなさい

 

ポイントは笑いながら、愉しく働くことなんですね。

仕事が愉しくなればお金も愉しいところに集りだすのです!


家庭が第一って言って、女房に嫌われているかもしれないよ。
「家にいないで、とっとと働きに行けよ」って(笑)。

リアルにありえます。。。


奥様はともかく(汗)

まずは仕事を好きになることで、笑いながら愉しく働いていきましょう♪

 

デイル・ドーテンさんの名言
『成功する人たちはね、自分がどこへ向かっているかということはわかってない。ただ、遊び感覚でいろいろやって、成り行きを見守ろうと思っている』

 

あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

なぜ読書が大事なのか?

読書は大事だと言うけれど、なかなか出来ないという話も良く聞きます。
特に子供の頃の読書は大切だと、言いますがそれはなぜでしょう?

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堀紘一さんの著書では福沢諭吉さんを例に出し、読書の重要性を挙げています。

福沢諭吉慶応義塾を設立しただけではない。

日本初の事業家たちの社交クラブとして知られる「交詢社」を銀座に設立したのも福沢だし、「横浜正金銀行」や「丸善」の設立にも関わっている。
北海道には旭川稚内の中間に牧場まで作っている。

要するに時代が求めているもの、日本という国がこれから必要と思うものを次々と起業していった人物なのだ。


福沢の起業家精神を養ったのも、読書だと私は思う。
福沢は子どもの頃は読書が苦手だったそうだが、のちに改心して漢書漢籍)を読みあさった。

福沢に限らず、明治維新の先頭に立った志士たちは例外なく読書量が多かった。

古典を中心に読書をすると人間の普遍的な思考が学べるし、社会生活を送るうえで最低限知っておくべき「常識」が身につく。

 

いまの教育の世界では「幼少から自分の頭で考える力を養うべきだ」という議論が盛んに出ているようだが、まずは読書で常識を身につけることが先決だ。


自分の頭で考えることは既存の思考体系を組み換えて、その常識を超える「超常識」を生み出すことに他ならない。
超常識は、イノベーションを引き起こす起業家にとっていちばん重要なものである。

 

読書をおろそかにしていると、最低限の常識がない非常識になってしまう。
常識を踏まえない単なる突飛な思いつきである非常識と、常識を踏まえたうえで新しい価値を提案する超常識には月とスッポン、天と地ほどの差がある。


福沢は漢書に親しんだ身でありながら、のちに欧米の現実を視察したうえで記した『西洋事情』や『文明論之概要』といった著作を通じ、旧来の常識だった儒教思想と中国を中心とする冊封体制から、超常識である西洋文明に接近する大いなるパラダイムシフトを先導しようとした。


言うまでもないが、福沢は日本を欧米のようにしたいと考えたのではない。


西洋文明を咀嚼してとり入れておかないと、日本だけではなくアジア全体が欧米諸国に乗っとられてしまうと恐れたのだ。


その超常識を支えたのは間違いなく読書だ。


これから超常識でイノベーションを目指す起業家を志すのなら、読書は必修科目なのである。


『自分を変える読書術』SB新書

自分を変える読書術 学歴は学<習>歴で超えられる (SB新書)

 

子供のみならず、自分も常識がないことを身にしみて感じることが良くあります。

自分の頭で考えようにも、常識という土台がないところにイノベーションは生まれない。
確かに。。。

読書は自分の経験していない事、とても体験出来ないことさえも疑似体験することができたり、自分では考えつかないような発想を得ることもできます。
まずは最低限の常識を身につけていきたいですね!


レイ・クロックさんの名言

マクドナルドのフランチャイジーフランチャイズの加盟店)になるには、頭脳明晰である必要はなく、高校以上の学歴もいらないが、100%のエネルギーと時間を投入する覚悟が何より大切だ。
常識を持ち、目標に向かっていく強い信念と、ハードワークを愛せる人間なら誰もが成功し、億万長者になれる』

 

あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

“亭主関白の恐妻家”が健全な家庭を築く基本


世界のHonda、創業者本田宗一郎さん。
今でもその人間力が多くの人に影響を与えています。

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本日はその人柄が少しわかる部分を引用させていただきます。

 

「幸福というものについて、これだといい切れる考えはまだ私も持っていないが、私は『会社での仕事も楽しく、家庭での生活も楽しい、つまり1日24時間を楽しく過ごすこと』が幸福だと思っている。
言葉はすこぶる平凡だが、この内容は非凡だと自負している。
それと、自分の幸福な状態が『他人の目にも楽しく、心も楽しませる』ものでありたいとも私は思う」


「これは快楽主義者というわけじゃないぞ。でもほんとうは遊ぶのはおもしれえから、半分以上は快楽主義者かも知れない。
後の半分がそうじゃないのは、女房が恐ろしいからブレーキをかけられているせいかも知れねえな」(本田宗一郎


本田宗一郎は思いのほか、家庭を大事にする。
恐妻家ぶるのは有名な話だが、ことさら恐妻家を強調するのは、多分に亭主関白を“逆説”的に自白しているようなものだ。

が、本田にいわせれば、ときに亭主関白、ときに女房の尻に敷かれるという夫婦関係がもっとも自然なのだという。


つまり、“亭主関白の恐妻家”が健全な家庭を築く基本だというのである。
これが本田宗一郎が家庭も楽しい、と断言する最大の理由だ。


会社の仕事も本田宗一郎は同じ思想で貫いた。
女房役の藤沢武夫に対して、自分の不得手なことはすべてまかせた。
ときに本田技研は女房役の藤沢武夫副社長の“カカア天下”に思えたのである。


ところが研究、開発になると、本田宗一郎の亭主関白を藤沢武夫は存分に許した。
こうなると、会社の仕事も、家庭と同じく、本田宗一郎にとって楽しいことになる。
本田宗一郎に“悲壮感”ほど似合わない言葉ないといわれている。


たしかに彼は本能的に“悲壮感”を漂わせることが嫌いなのだろう。
それが本田宗一郎流の他人に対する“気くばり”といえる。

 

彼はいつも陽気なムードを求める。
しかし、それだけでは馴れ合いになり、厳しさに欠ける。
そこで彼は爆発的な怒りをみせる。
ただし、これも計算づくではない。
少年時代の宗ちゃんが、真っ赤になって怒るのと、本質はいささかも変わっていないのである。


旧きよき時代の子供の特権は、なぐり合っても、すぐに仲直りができたことだ。
ケンカしても互いに邪心が少なかったからだろう。


だが、怒りがおさまると、怒られたほうが驚くほど本人はアッケラカンとしている。
本田宗一郎のくったくない楽しそうなさまは、人の目にも楽しく、心を楽しませる結果になるのだ。


本田宗一郎「逆境」を生き抜く力』(梶原一明)KKロングセラーズ

本田宗一郎 「逆境」を生き抜く力 KKロングセラーズ

 

恐妻家ぶるというところに、凄く人柄が伺えます。

ときに亭主関白、ときに女房の尻に敷かれるという夫婦関係、憧れます(笑)


Hondaのカブを作ったのも、奥様が「自転車で大変なのをもっと楽にして助けたい!」との想いからできたそうです。

愉しむ心と家族の絆、そして仲間との絆を常に大切にしていきたいですね!


本田宗一郎さんの名言
『学問なり技術があるということは立派なことにはちがいないが、それを人間のために有効に使って初めて、すぐれた人間だということができるのだと思う。
何よりも大切なのは人を愛する心ではないだろうか』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。 

「行動」するためのスキルとは?

「ピンチはチャンス」「まずは最初の一歩を踏み出そう」「とにかくやってみる!」

とは、言いますが実際にはなかなかな出来無いものですぇ。。。

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そんな時の行動のヒントとして伊藤羊一さんは「スキル」も必要と教えてくれています。

「ビジネスマンにとって大事なことは何か」ということがテーマになった時、「踏み出すのが大事」「まず動く」とよくいわれます。
確かに、最終的には踏み出したり、動いていくことが大事なんですが、「それができないからつらいんだよね」という方も多いと思います。


動くためには、やる気や勇気も必要ですが、「スキル」も必要です。
100%の確証がなくとも、腹落ちする結論をすぐつくることができれば、自分自身も納得して、自信を持って動き出していくことができます。


私は、すぐ「行動」するためには、1.自分なりの結論をすぐ着想し、2.仮説を組み立て、3.自信を持って踏み出す、という3つが大事だと考えています。


1.「自分なりの結論をすぐ着想する」とは、「頭出しの結論」を出す、ということです。
100%の正解がない中では、「まずは結論を出してみること」が大事です。

それが最終結論ではなくても、よりよい結論にたどり着くための「頭出し」をすることに大きな意味があります。


たとえば会議の場面で、誰も発信せず、シーンとしている。
その時に、仮でもいいので「これは、こういう方向がいいのではないでしょうか?」という意見があれば、それを軸に、「俺は絶対こうなんだよね」と、最初の意見が呼び水になって、議論が活発になったりします。
たたき台が生まれて物事は進むわけです。


要は「頭出しの結論」とは、たたき台です。
最初に意見を言うのはみんな怖いから、黙っているわけですね。


そして、すぐ動ける人は、「自分なりの結論」をすぐ出しています。

つまり、「すぐ、(自分の)ポジションをとれる」ということです。
どちらの意見がいいと思うのか、自分の立場や方針を決めることを、「ポジションをとる」と言ったりします。


今の日本は終身雇用が崩れてきて、保身しているだけでは誰も守ってくれない時代に入ってきています。
意見を言わないことは、自分の身を守ることではなく、「いらない人」「会議に来なくてもいい人」とみなされてしまうことになるでしょう。


それよりも、A案かB案かをスピーディに決めて動き出し、もし失敗したとしても、すぐに軌道修正する。
そんな個人やチームがどんどん勝つ時代になっています。

 

2.「仮説を組み立てる」とは、「ベータ版(β版)を出す」ということです。

インターネットサービス等では、「ベータ版(β版)」という言い方をしますが、正式版を公開する前に、まずは試しにユーザーに使ってもらうためのサンプルのソフトウェアやアプリのことを指します。
いわば、お試し版ですね。

ソフトウェアやアプリには、小さなバグがつきものです。
正式版として発売してから、致命的なバグが見つかったら、とんでもないことになります。
ですから、正式版を出す前に、あえて未完成版を出して使ってもらい、改善点などを集め、正式版の完成度を高めていくのです。


「ポジションをとって頭出しの結論を出す」にしても「ベータ版を出す」にしても、大事なことがあります。
それは、早い段階で「仮説」を出して、仮設に基づいて考えていくということです。


仮説とは、「おそらくこうだろう」という仮説です。
仮説を立てながら、判断材料にしていくわけです。


3.「自信を持って踏み出す」とは、「行動力は『才能』ではない」ということです。


行動に移せる人と、そうでない人を比べてみると、その一番大きな違いは、才能や性格などではなく、「リスクがゼロになるまでは動かない」のか、それとも「リスクはあって当然」としているか、その考え方の違いだけではないかと気づいたのです。


リスクは「危険」ではなく、「変動可能性」です。
新しいチャレンジをする際には、必ず(何かが変わる、という)リスクがあるわけです。
「リスクはあって当然」と考える人は、リスクが何なのか知って、コントロールしようとします。


動く前に100%の確証(リスクゼロの)を求めようとしても、最後の最後まで、絶対にわかりませんよね。
そもそも外からではわからないことが多いですし、世の中の選択肢を全部検証しきることなんて、不可能なわけです。


言い換えれば「『正解』なんてどこにもない」ことを知ることで、初めて動けるようになるのです。


『0秒で動け』SB クリエイティブ

0秒で動け 「わかってはいるけど動けない」人のための

 

 

松下幸之助さんの名言

『時には常識や知識から開放され、思いつきというものを大切にしてみてはどうだろうか』


動かないという選択をしているのは自分自身。

正解を待つのではなく、また松下幸之助さんの言うように、常識や知識でガチガチに自分を縛るのではなく、時には思いつきでもいい、リスクを追ってでも行動していくようにしたいですね!


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。