ワクワクする「名言」で1ミリ前進

毎日を1ミリでもワクワクに。気楽に読める内容です。

良い人生をおくるためにも良い人に囲まれていたい

長く生きていればいるほど色んなタイプの人がいる事に驚きます。

色々な考えがあるのは当然で、様々な考えや性格の人と出逢うことは大切ですが、それでも長く付き合っていく際には良い影響を与え合える関係の人達に囲まれていたいものですね!

f:id:piropirosurf:20210315170605p:plain
ジェームズ・スベンソンさんの著書の中にはそんな中で避けておくべきタイプの人があげられています。

ポジティブな人とつきあえば、よい影響を受け、ネガティブな人とつきあえば悪い影響を受ける。


仕事と人生の充実をはかるためには、自分の人間関係を整理する必要がある。

では、どんなタイプの人を避けるべきだろうか?

1. うそをついたり約束を破ったりする不誠実な人


2. 他人のあら探しをして悪口を言う邪悪な人


3. 口が軽くて他人の秘密を漏らす軽薄な人


4. 自分は何もせずに要求ばかりする利己的な人


5. とかく悲観的な見方をする暗い人


6. 傲慢で相手の気持ちを無視する独善的な人


7. 性格や態度に裏表がある卑劣な人


8. 嫉妬深くて意地の悪い陰険な人


9. 怒りっぽくて復讐心に燃えている執念深い人


10. 自分が間違っていても意見を変えない頑固な人


以上の項目のどれかに該当する人とは距離を置くか、できることならつきあいをやめたほうがいい。


そういう人とつきあっていると、今は仲がよくても、将来、あなたになんらかの形で被害がおよぶ可能性がきわめて高い。
また、あなた自身も以上の項目のどれかに該当していないかどうかを自問しよう。
少しでも心当たりがあるなら謙虚に反省しなければならない。

『人生の扉をひらく50の法則』ディスカヴァー

希望と幸福に満ちた人生の扉をひらく50の法則

 

上記の10個に該当する人の中の多くは「自分は当てはまっていない!」と本人が思っている事もよくあります。それで無意識で外に出てしまっている場合も。

もちろんそれを指摘したり、直すように話すのも大事ですが、基本的には人は変わらない(改善はすることはありますが)ので、そこにこだわるよりは距離をおくことも大切ですね。

かくいう自分もどこかに該当していないかもう一度確認してみます。。。(汗)


孔子さんの名言
『十人が十人とも悪く言う奴、これは善人であろうはずがない。
だからといって十人が十人ともよくいう奴、これも善人とは違う。
真の善人とは、十人のうち五人がけなし、五人がほめる人物である』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

『気配り』『心配り』が人を動かす

「何を言うかよりも、誰が言うか」などと言われることもありますが、内容よりもその人に対する信頼だったり、人間力だったりによる部分が大きいのは確かです。

 

f:id:piropirosurf:20210314180542p:plain

 

ホイチョイ・プロダクションズさんの書籍ではその部分を「気配り」にフォーカスして示してくれております。


どんなに優れた政策を掲げた政治家でも、選挙に当選しなければ腕の振るいようがない。
そして、選挙に強い政治家とは、必ずしも、優れた政策を実現する能力に長けていたり、時勢を正しく見極めることができる政治家ではない。


選挙に強い政治家とは、ドジャ降りの日に傘もささずにビール箱の上に立ってズブ濡れで街頭演説をつづける、真夏に長靴をはいて田んぼに入って農家のお年寄りの作業を手伝う、あるいは、村祭りの盆踊りの輪でわざとみんなと逆回りに踊り、すれ違う選挙民にニッコリ微笑みかけて顔を覚えてもらう…そういった、人に媚びるための泥臭いおべっかのノウハウを持った政治家である。

 

ビジネスも同じだ。


どんなに優れたクリエイティブ力やメディア・プランニング力を持っていても、まず得意先に気に入られ、使ってもらわなければ、腕の振るいようがない。
企業のトップに立つような有能な人間は、その能力が高ければ高いほど、即効性のあるリアルな気くばりを求めている。


彼らは、自分が購入を決断する高額商品は、それがクルマであれ、マンションであれ、生命保険であれ、会社の広告キャンペーンであれ、すべて、自分に対してどれだけ有効な気くばりがなされたのかで購入先を選ぶ傾向にある。
結局のところ、人の心を動かすのは、人の気くばりなのだ。


例えば…


《お詫びやお礼をメールだけで済まさない》

文字だけで伝わる情報量は、会話で伝わる情報量のわずか30%に過ぎない。
どんな美辞麗句を連ねても、本気の謝意は正確には伝わらない。
大事なのは表情と声のトーン。
お詫びやお礼など、感情を伴うコミュニケーションにはメールは向かないものと心得られよ。
したがって、上司や得意先との打ち合わせへの遅刻は、メールではなく、電話で詫びるべきだ。


また、前の晩にごちそうになった上司へのお礼もメールで済ませない方がいい。
佐藤錦」のパックを持って相手のデスクまで行き(こういうときのお礼は昔からサクランボの佐藤錦と決まっている)、直接、お礼を言うべきである。

 

《常に面白い話題を持っている》

ある日、広告マンのM君は、先輩が運転する車で番組収録の立ち会いに行った帰り、レインボーブリッジ上で渋滞にハマり、退屈した先輩から「最近、何か面白い話はないか?」と訊かれた。
M君が「特にありません」と答えると、先輩は血相を変え、「今すぐこのクルマを降りろ」と言って、橋の上でM君を降ろしてしまった。


M君は後から来たトラックに乗せてもらい事なきを得たが、それ以後、得意先から飲みの席で「何か面白い話はない?」と訊かれると、この話で大ウケをとることができた。

そこで初めてM君は、先輩が自分に「面白い話」を与えてくれたのだと気づいたそうである。

電通マン36人に教わった36通りの「鬼」気くばり』講談社+α文庫

電通マン36人に教わった36通りの「鬼」気くばり (講談社+α文庫)

 

気配りや心配りはその人、そのままがものすごーく表れます。

信頼残高などとも言えますが、相手の事を考えているかどうか?
相手を喜ばせるには?
に常に意識を向けていられる人は自然と人格が磨かれ、その貯金は貯まっていきます。

しかし、これは天性のものではなく、今から、この瞬間からでも身につけられるものですから「人にフォーカス」で常に気配りや心配りをしていけるようにしたいですね!


野村克也さんの名言
『捕手は女房役と呼ばれるように、投手に対する思いやりも必要だ。
 日常生活でも目配りや気配りができないようでは、いい捕手にはなれない』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

ポジティブに変換するマジックワードは・・・

物事を俯瞰してみる、視座を高くしてみるなどする事で新しい発見や、気づきが生まれることが良くあります。
ただ、それを自分自身に向けても、客観的に冷静にできるというのは、なかなか難しいかも知れません。

f:id:piropirosurf:20210313210141p:plain

このポイントを茂木健一郎さんは「メタ認知」という言葉を使って話されています。

自分自身の現状を他人の立場から、客観的かつ冷静に理解することを「メタ認知」といいます。

メタ認知」とは、「良い」「悪い」という意味づけをすることではなく、「自分がネガティブな感情を持っているのは、どういうことなんだろう」と客観的に受け止めることを意味します。
すると、逆にそれがきっかけとなって、自分のポジティブな感情や行動にまでたどりつけることが多々あるのです。


たとえば、友だちにものすごく素敵な彼氏ができた場合。
あなたの中に「でもあの男、チャラいところがあるよね」「そのうち絶対フラれるわよ」といった、ネガティブな感情が生まれるかもしれません。

そんなときには、「なぜ自分は今、そういうネガティブな感情を持っているんだろう?」とメタ認知で自分を客観的に理解してみるのです。

すると、「あ、もしかしたら自分も彼氏がほしいんじゃないかな。でも、今は彼氏がいないから、そう考えてしまうのかも」と考えを進めていくことができます。
そして、「じゃあ、彼氏の友だちを紹介してもらっちゃおう」というポジティブなアクションにまでたどり着く…。
こうした「理解」の流れが大切なのです。


そしてそれにより、ただネガティブな感情に惑わされていたときには生まれなかった「新しい現実」が目の前に出現します。
そうして、あなたの人生はポジティブな方向へと変化していくのです。


仕事の場合でもこれはまったく変わりません。
たとえば同僚の誰かが成功したり、仕事が好調だったりするときには、「あんなヤツ、たいしたことない」などとネガティブな感情が生まれるものです。


けれどもここで、なぜ自分がそんな気持ちになるのか理解してみると、「自分も成功したいんだ」「いい仕事をしたいんだ」という本当の気持ちに気づくことでしょう。


こうやって“意識の方向”を変えてみると、ネガティブな感情で脳のエネルギーを無駄に消費することもなくなり、気分がとてもラクになるのです。

 

けれども、こんなときに「根性論」一点張りで、無理やり前向きに「俺だってスゴいんだよ!自分サイコー!」とネガティブ感情を否定してみても、問題はまったく解決しません。


本当に向き合うべきなのは、“ネガティブな感情の向こうにあるポジティブな感情”です。
どんなときでも「だったら、自分は今どうすればいい?」と考える「ポジティブ脳」を発揮してこそ、事態は好転していくのです。


『もっと結果を出せる人になる!「ポジティブ脳」の使い方』Gakken

もっと結果を出せる人になる! 「ポジティブ脳」のつかい方

 

ネガティブな感情は誰でも瞬間的には生まれてくるものだと思います。

ただ、その感情にとらわれたり、引きずることで悪循環に陥ることもあります。


ネガティブな自分に気がついたら、「じゃあどうする?」と自分に問いかける。


ちなみに楽天大学学長の仲山進也さんはそんな時のマジックワードとして、

「ちょうどよかった、」

と、頭につける事をオススメしてくれています。
すると、ネガティブな事なのに、不思議とプラスの部分、ポジティブに瞬時に変換できるのです。

例えば
「電車が遅延で最悪だー」のネガティブ状態の時、
「ちょうどよかった」と頭につければその後に何が続くかに意識が向けられます。


「ちょうどよかった、たまっていたメールの返信ができる」とか、


「ちょうどよかった、本を読む時間ができた!」など。


カンタンにも関わらず、パワフルな手法なので頭の片隅に入れて活用する事をオススメします。


倉本聰さんの名言
『物事の全体を俯瞰する視界を持ち、目の前の状況を自分にしっかり引き寄せて、"私ごと"として考える姿勢から始めてはどうだろうかと思います』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

 

欠乏マインドの考え方は信頼を失う

「7つの習慣」の第4の習慣「win-winを考える」の中で「豊かさマインド」と「欠乏マインド」という概念が登場します。

ちなみに「豊かさマインド」とは、この世にはすべてのものが全員に行きわたってもなおあまりあるほどたっぷりとある、と考えるパラダイム

f:id:piropirosurf:20210312142725p:plain

本日はこれに対しての欠乏マインドについて引用しています。

あなたは、自分をよく見せようとして、他人を貶めたことがあるか。

あなたは、トップに立つには他人を踏みつけにしても仕方ないと思うか。

あなたは、誰かが失敗したことを、内心(または、おおっぴらに)喜んだことがあるか。


こういう感情や行動は「欠乏マインド」のなせるわざで、その背後にはプライドが隠れている。

欠乏マインドは「全員に行き渡るほど十分にない」とか「チャンスはまれで、めったにやってこない」という考え方だ。

 

今、私とあなたが公園のベンチに座っているとして、あなたに向かってこう言ったら、どう思うだろうか。


「今すぐ息をするのをやめてくれ。でないと僕の空気が足りなくなる」


欠乏マインドも、これと同じくらいバカバカしいことだ。

プライドから生まれる成功願望は、分別を失わせる。
そして愛情、幸福、成功のようなものを消耗品だと考えるようになる。
「他人が恵みを受ければ受けるほど、自分のための恵みが減る」というように。


「バカ?」と言われて大正解:パンローリング
リッチー・ノートン 、ナタリー・ノートン 森尚子 訳

「バカ?」と言われて大正解 ――非常識なアイデアを実現する (フェニックスシリーズ)

 

「欠乏マインド」とは、パイの数には限りがあり、誰かが取れば、自分の取り分が減る、すなわち人生は勝つか負けるかのゼロサム・ゲームであると考える事ですね。


シェアの文化が急速に普及してきている現在はこの「欠乏マインド」によって失う信頼は致命的。
常に豊かさマインドを持ち、自分の周りにはありあまるほどの幸せがあるという事を忘れないようにしていきます。


オスカー・ワイルドさんの名言
『ありふれた富は盗めるが真の富は盗めない。
人の心の中にはだれにも奪えないとほうもなく尊いものがある。』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。 

当たり前は当たり前じゃなく一期一会の奇跡


本日3.11東日本大震災より10年ですね。

いつも身近にいる人がいつまでもそばにいるとは限らない。
普段感じる当たり前が実は当たり前なんかじゃないと言うこと。

f:id:piropirosurf:20210311210108p:plain

頭では分かっていても、その時の感情だったりでついその事を忘れて、素っ気ない態度をとったり、感情をぶつけてしまう事があります。

人と人とがお互いにまた出会えている事、その当たり前が本当は当たり前でなく、奇跡だと言う事を常に心に刻んでおきたいものです。


そのために丸山浩路さんの一文を引用させていただきます。

世のお父さん、お母さん。
初めて我が子が宿ったと知ったときの感動、覚えていますか。


日に日に育つ命を実感し、「無事、生まれますように」と心の底から願ったに違いありません。
ひたすら「五体満足であれば十分」と念じましたよね。

 

そして、生まれた愛しい我が子。
初めて父と母になった夫婦は手を取り合い、涙して喜び合ったはずです。


オムツを替えれば「エライ!よく出したね」と褒めるママ。
初めて歩き出した我が子に「手を貸そうか貸すまいか」とオロオロしつつ、スリルとサスペンスの中、夢中でシャッターを切ったパパ。


子どもの成長の一つ一つが新鮮な驚きと喜びに満ち満ちていたことでしょう。


ところが、月日がたち、かわいい我が子が保育園、幼稚園、そして小学校、中学校へと上がっていくにつれ、ほとんどの親は子どもが成長するのは当たり前と思い込んでしまいます。


たとえば、お母さん。
世の中にはいつの間にか“やまんば”に変身してしまう母親がなんと多いことでしょうか。


「ご飯よ」ですませればいいものを、「なにしてるの!グズグズしてると片づけちゃうわよ」と余計なことまで言ってしまう。
「行ってらっしゃい」でいいものを、「早く帰ってくるのよ!いつも遅いんだから」と脅迫しながら送りだす…。

 

でも冷静に考えてみてください。


子どもが学校に行って、家に帰ってくるのは奇跡なのです。


学校への登下校の途中で交通事故に遭うかもしれない。
なにか不測の事態に巻き込まれることもあるかもしれない。

 

思いもしないことで命を失う人が多い中、「ただいま!」と元気に家に戻ってくること自体が、まさしく奇跡。


親子も一期一会のご縁なのです。


子どもが五体満足で帰ってきたら、「お帰りなさい。よくぞご無事で」と抱き締めてあげる気持ちをどうぞ持ってください。


大切なのは「生きていてくれてありがとう」という気持ちをいつも忘れずに持ち続けることなのです。


生きて再び会えること。


それは紛れもない奇跡なのですから。

 

これはむろん、親子関係だけに限ったことではありません。
午前様で会社から帰ってきた夫にも同じことが言えます。


「まったく、今日もまた飲んできたんだから!」などと目くじらを立ててお怒りにならず、「あなた、無事で帰ってきてくれてよかったわ」と玄関で温かく迎え入れてあげてください(せめて気持ちだけでも…)。

そうすれば夫婦関係だって円満にいきます。

 

また、待ち合わせに相手が遅れて来たとしましょう。


「何分、待たせるんだよ」
「仕方ないよ。仕事なんだから」

これでは一期一会の奇跡に感謝する思いなど、どこかに吹き飛んでしまいます。


だから私はこう言います。

「なにか事故でもあったんじゃないかと思ったよ」
「ごめんなさい」
「会えたからいいじゃないか」

遅れて来ても会えたのだから、それでいい。


生きて会えた、そのことがどれだけありがたいことか。


なにも私が特別やさしい人間なのではありませんよ。
人のご縁は一期一会。
それを忘れずに生きていきたいからこその言葉なのです。


『本気で生きよう!なにかが変わる』大和書房

本気で生きよう!なにかが変わる

 

自分はできた人間ではないからか、その瞬間の感情に振り回される事がよくあります。

子供が産まれてくるときには、「とにかく無事に産まれてくれれば!」と願い、
子育てでも、「自由にのびのび育ってくれれば!」と思いつつも、
ちょっとした事で自分の都合を押し付けたり、期待や周りの目を気にして行動を制限させてしまうこともあります。
また周りに対しても一期一会の出会いに感謝しきれているとはとても言えない事も。。。

目の前にある当たり前が奇跡なのだと、今日は再び心に刻む日にしたいと思います。


相田みつさんの名言
『身近な人の死に逢うたびに 

 私は人間の命のはかなさにガクゼンとします

 この世に人間として生きている尊さを骨身にしみて感じるとき

 私には仕事への闘志が湧いてきます』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

ディープチェンジは覚悟と勇気と行動が不可欠

このとてつもなく変化が早い時代において、取り残されない為、またそこで生き抜く為には変化する勇気が、個人にも組織にも必要かもしれないと思わされます。

f:id:piropirosurf:20210310223402p:plain

それも表面だけ合わせるとか、ちょっと変わるレベルでなく、根本から変わること=ディープチェンジというお話はロバート・E・クインさんの著書に書かれております。

テーマは、「いかにして根本から変わるか(ディープ・チェンジ)」だ。
個人でも組織でも、ディープ・チェンジには勇気が必要だが、その資質は誰もがもっている。


人は自己鍛錬を重ねて自分の才能に磨きをかけるにつれて、ものごとの可能性を否定しなくなる。
代わりにそれを成し遂げるプロセスと人間関係を尊重しはじめ、より好ましいビジョンを思い描き、道徳に従って生きるようになる。
そうやってこれまでより人生に意義を見いだせるようになると、力と自信がわいてきて、まわりの人たちにも力と自信を与えらえるようになる。


いま、めまぐるしいスピードで変化している世界の中で、自分の能力以上のことを求められていると感じている人は多い。
そう感じると、つねに「無力な犠牲者」や「受動的な傍観者」を演じたいという誘惑にさらされることにもなる。

 

しかし、そういう役割を演じて生きると、人はなにに対しても無関心になり、生きがいや働きがいを失ってしまう。
あらゆることを表面的にしか見なくなり、ものごとに可能性や敬意を感じなくなる。
言い換えれば、緩慢な死への道を歩みはじめる。

 

ディープ・チェンジか緩慢な死か、というジレンマは、いまに始まったことではない。
しかし今日ほど、そのジレンマが際立つ時代はない。


現代社会では、なにかに意義や安定を見いだした次の瞬間にはもう、それが崩れ去ってしまう。
結果として、私たちはたえず、ディープ・チェンジか緩慢な死かを選択しつづけなくてはならないのだ。

 

どんな人でも、一度や二度は無力感にさいなまれたり、自分が孤立していると感じたり、人生に意味を見いだせなくなることがある。
現状を変えるべきだとわかってはいても、そのためのやる気とアイデアがわいてこないときもある。
あるいは、自分ではなく、まわりの誰かの行動を変えたいときもあるだろう。


友人から聞いた話をしよう。

アメリカのある州政府の幹部たちが、リーダーシップ研修を実施することにした。
主体的に行動し、組織内で根本的な変化を推し進められる行政官を育成するのが目的だった。
そこで彼らはまず、模範となるリーダーを探しはじめた。


官僚というと、変化に抵抗する守旧派というイメージがあるが、州政府内にも変革型のリーダーがいるかもしれないと考えたのだ。
意外にも、さまざまな機関や組織で、劇的な変革を成し遂げた人たちが次々と見つかった。


あるリーダーは、市民を窓口で長時間待たせることで悪名高かった部署を引き継ぎ、一年後には州政府内で最も評判のいい部署に変身させた。

別のリーダーは、環境が劣悪だった州立病院に着任し、二年後には全米の手本となる病院に様変わりさせていた。


州政府の幹部たちは、こうした変革型リーダーたちを紹介するビデオをつくろうと考え、取材チームを差し向けた。

 

ところが、取材チームは手ぶらで戻ってきた。


なぜか?


変革型のリーダーたちは一人の例外もなく、少なくとも1回以上、州法違反にあたる行動をとっていたからだ。


効率の悪い組織をより効率的な組織に変えるためには、正規の書類を提出しなかったり、規則や命令を無視したりすることが避けて通れなかったのである。


法律を破らなければ組織のディープ・チェンジを起こせないわけではない。
しかし、ディープ・チェンジは、誰かが大きなリスクを覚悟して行動しないかぎり実現しない。


組織と変革…この二つの概念は、そもそも互いに相容れない。
組織を築くとは、システムをつくって行動の予測可能性を高めることだ。
あらゆる組織は、その組織の内外の人々が抱く期待を土台に動く。


外部の期待のなかには、小売店に対する消費者の期待(「あの店に行けば、いいものを安く買える」とか)のような非公式のものもあれば、組織の行動を規制する、法律のような公式のものもある。


同様に、内部の期待にも、非公式のものもあるし、定型的な手順やパターン、ルールなど公的な色彩の強いものもある。
いずれにせよ、こうした期待は、組織が予測可能な行動をとるよう背中を押す。


行動を定型化すれば、たしかに組織の効率は高まり、行動の質も向上する。
しかし、パターン化された行動は同時に、組織を停滞と衰退に導いていく。


変化しつづける世界とのギャップが広がるからだ。
その挙げ句に、企業であれば顧客という重要な財産を失う。


『ディープ・チェンジ』海と月社

ディープ・チェンジ 組織変革のための自己変革

 

気がつけばもう数年前から指示ゼロ組織ティール組織など取り上げられていますが、まさに誰かの導くレールの上を進んでいく生き方の未来は何もない、何も生み出せない時代になっているのだと思います。

指示ゼロ経営  リーダーが「何もしない」とうまくいく。ティール組織 ― マネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現

組織もそこにいる個人も変化し進化していくために、根本から変わる勇気とその後の行動が求められているのだと思わされます。

まずは何をして、どうなって行きたいか?
常にワクワクする方を選ぶことだけは忘れずに進んで行きたいですね!


スティーブ・ジョブズさんの名言
『あなたの時間は限られている。
だから他人の人生を生きたりして、無駄に過ごしてはいけない。
ドグマ(常識や柔軟性を欠く信条)にとらわれるな。
それは他人の考えた結果で生きていることなのだから』

 

あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

 

生きがいの中にこそ、人生の快楽の源がある

仕事に生きる人、趣味に生きる人、はたまた学び自体を生きがいにしているなど、何かに生きがいを感じている人は決まって輝いていますね。

 

f:id:piropirosurf:20210309180453p:plain

 

美輪明宏氏さんは生きがいの数が多いほど、人生は豊かになるとお話されてます。

 

快楽を得たいという思いは、誰にも備わっているものです。
それは本能だからしかたのないこと。

しかし大金持ちになりたいと、めちゃくちゃに働いて大金を貯めたとします。
でもその大金をあの世へは持っていけません。
お金なんて、一時預かりで自分の手もとにあるだけ。

それでもいいというなら執着すればいいし、それがバカらしいと思うならほどほどに稼いで、ほどほどに暮らす方法を見つければいいのです。


食べ物にしてもそうです。
健康で一生を終えたいなら節制すればいいし、病気になってもいいと思うならおいしいものを食べ尽くせばいいだけのこと。

麻薬だってどうぞお好きに。


つまり、どっちを選ぶかはその人の価値基準によるのです。
太く短く生きるか、細く長く生きるか。


胸をはって正々堂々とお天道さまの下で大手を振って歩くか、“みそさざい”という鳥がいますが、その鳥のように暗い軒下ばかりを飛んで暮らすのか。
後ろめたい思いをしながら暗い軒下で暮らすのが好きならそれでいいのです。

誰も強制はできません。


でも青空の下を大手を振って歩きたいという気持ちがあるなら、快楽はある程度は犠牲にしなければいけない、ということです。


私も昔はギャンブルをやっていました。
でもよく考えてみると、パチンコに通っていた頃は、仕事がうまく行っていない時期。


やがて仕事がうまく回るようになり、次々と成果が出始めると、ギャンブルなんて興味がなくなってしまいました。


つまり何か生きがいがあれば、快楽に溺れて人生を台なしにすることはないのです。
生きがいをたくさん持っている人は、麻薬、ギャンブルといった、本能に基づく快楽に重きをおかなくてすみます。


でも生きがいがない人は、どう生きればいいのかわからない。
だから生活の中に本能に基づくものしかなくなってしまう。
快楽から得るスリルに走ってしまうのです。


でもそういう快楽は人を滅ぼしこそすれ、人をヴィヴィッドに活性化させる手助けにはなりません。
毒にしかならないのです。


暮らしの中に生きがいを持つこと。
それが安心と充実した人生を送るコツなのです。
その生きがいとは人によってそれぞれで、私のように仕事の場合もあれば、趣味の場合もあるでしょう。


文化もそのひとつです。
生物的な本能だけに基づくものではなく、知識の吸収や実践を通して自分が成長していけるものであればなんでもいいと私は思っています。


生きがいの数が多ければ多いほど、精神は安定し、人生は豊かになるでしょう。
いくつもいくつも分散させて、たくさん持っておけばいいのです。
その生きがいの中にこそ、人生の快楽の源があるのです。


『愛の話 幸福の話』集英社

愛の話 幸福の話

 

「麻薬だってどうぞお好きに。」が美輪明宏さんらしいです(笑)

人生で仕事、趣味はもちろん、地域の活動や、友人との繋がりなど欲だけでなく、愉しみをたくさん持っているほど、豊かな人生になりそうですよね!


エイブラハム・リンカーンさんの名言
『こうして人間に生まれてきたからには、やはり何か生きがいが感じられるまで生きている義務があろう』

 

あなたの毎日がワクワクに溢れますように。