ワクワクする「名言」で1ミリ前進

毎日を1ミリでもワクワクに。気楽に読める内容です。

増やすだけで無く減らす事も考えてみよう

あれも欲しい、これも欲しいと言うことがあります。
物やお金など財的なものから、友人や知識にいたるまで、欲しいものはたくさんありがちです。

しかし、つい増やすことに没頭しがちな時は、逆に減らす事にも目を向けても良いかもしれません。

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守屋洋氏さんの著書より引用させていただきます。

何かを増やそうと一生懸命になることの多い世の中ですが、減らすことの重要性を忘れてはいないでしょうか。

何かを減らすことによって、不要なものを捨て去り、俗世間のしがらみから抜け出すことができます。


交友関係が広いと楽しみが増えるかもしれませんが、もめごとも増えます。

口数が多いと、非難を受ける機会も増えるでしょう。

交友関係を整理し、大事なとき以外は口を開かないようにすれば、不要ないざこざも起きません。


また、分別が増えると、考えることも増えて気持ちが疲れます。

知恵があり過ぎると、自分が本当にやりたいことを抑え込んでしまう場合もあるでしょう。


何でもかんでも、増やすのが素晴らしいと考えがちですが、本当にそれが幸福につながるのかをよく考えてみましょう。

何かが増えるたび、自分の人生に足かせをつけて、束縛していないか見極めてください。


菜根譚の教え』宝島社
 

イラスト図解 生きるのが劇的にラクになる菜根譚の教え

 

人間は一人ひとり皆違うのですから、考え方が全て同じことはありません。

ですので、人付き合いに関しても抱えれば抱えるほど、調整が必要だったり意見のぶつかりも多くなる。

もちろんそれが大切な事も多々ありますが、ただその数の多さだけが重要かと問われればそうでない事も多いと思います。
これと同様に、自分の周りにある「あれもこれも」と欲する部分は、本当に必要か?逆に足枷、制限になっていないか?
常に見直す心のゆとりを持ちたいものですね!

 


菜根譚(洪自誠さん)の名言

『静寂な環境のなかで、得られる心の静かさは、ほんものの静かさではない。
 
活動のなかで、心の静かさを保ってこそ、最高のあり方を体得した者といえよう』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

レーガン大統領のユーモアセンス

アメリカ歴代大統領ランキング第8位はレーガン大統領だそうです。

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そのレーガン大統領のエピソードを伊藤淳さんの書籍より引用させていただきます。

レーガン元大統領のエピソードがあります。

大統領に就任して間もないころ、彼は、ホテルからリムジンに乗り込む折に、銃で撃たれて、重症を負いました。
大変な激痛だったと言われます。


そんな生死の境にあるようなギリギリの状況下にあって、まさに病院に担架で担ぎこまれようとするときに、その担架を担いでいる看護婦の手を握り、「妻のナンシーには内緒だよ」とウインクをしたそうです。


さらに、今まさに手術をしようとする執刀医たちをつかまえて、「まさか君たちは、(レーガンの属する共和党とは反対政党の)民主党員じゃないだろうね」とジョークを飛ばしたそうです。


なんという度外れた豪胆さでしょうか。


もちろん、自分の命が危ないときに、相手が共和党民主党かなんてことは関係あるはずはありません。


そんな絶体絶命のときにこそ、明るいユーモア精神を忘れなかったレーガン大統領をアメリカ国民はすっかり見直し、この事件の後に彼の人気が急上昇したのも頷けます。


後にCNNの名物インタビュー番組、ラリー・キング・ライブに出演して、銃で撃たれたときの心境をレーガン大統領自身が語っています。


インタビュアーのラリーに、「そのときに大統領を撃った暴漢をさぞかし憎んだでしょう」と聞かれた彼は、次のように答えました。

「いいや、全然。
そのとき、僕は“上にいる友人”とよく話し合ったんだ。
後で、僕を銃で撃った青年は、精神的に非常にまいっていたってことを聞かされてね。
ああ、彼も祈りによって救済されるべき一人なんだって思い立ったんだよ」


神という存在を「上にいる友人」というセンスが、とてもすてきだと思いませんか。


直通電話でもかけるような気軽さで神様と話し合える、こうした陽気な自家発電パワーをもっているからこそ、危険な状況下でも明るいユーモア感覚を失わなかったのでしょう。


この天性の楽天性のゆえに、反対野党の民主党が多数派を占める議会の議員たちを一人ひとり粘り強く説得して、減税政策を断行し、経済を回復させ、また冷戦を勝ちぬき、ソ連を解体に追い込み、“強いアメリカ”を復活させることに成功したのでしょう。


『言葉には、なぜ現実を変える力があるのか?』きこ書房

言葉には、なぜ現実を変える力があるのか?

 

確かにこのユーモアのエピソードを聞くとファンになってしまいますね。

人間力に溢れる輝いている人はこのユーモアの感覚が見についている人がほとんどかと思います。
ユーモアのセンスは常に周りに気配りができていないと発揮できないと思います。

まず、自分の事ばかりを考えていてはそんな発想は生まれないし、言葉にできないはず。
ましてや自分が病院に運ばれている状態ではまず無理ですね。

常に楽天的かつ、ユーモア溢れる人を目指していきたいです!

 

ロナルド・レーガンさんの名言(スピーチの一コマ)

『私はアメリカ大統領としての全ての資質を備えている。
第一に抜群の記憶力。

第二に・・・

えーっと、何だったけかな?』

このユーモアが素敵!!


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。


 

未来に起こる事が見える人は

スポーツの世界などでは良く、[ゾーン]に入ると「動きがスローになる」とか「時間の感覚がなくなる」などの現象がおこると言われます。

心理学者のミハイ·チクセントミハイさんの言う「フロー」状態も同様だと思います。

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これに近い状態で、未来に起こることが[見える]ことがあると言います。

本田健さんの著書中にこんな内容がありました。

 

野球の名選手のなかには、ヒットやホームランを打ったときに、「いつ打ちやすい球が来るかがわかっていた」という人がいます。

優れたお医者さんのなかには、次に診察する患者さんの病状がわかってしまう、という人もいます。


これらは「思っていたことが、たまたま現実になった」という見方もできますが、「すでにある未来を先取りして見た」というとらえ方もできるでしょう。


伝記を読んでも、会社が上場する、大統領になる、ノーベル賞を取るといったことを、何十年も前から本人がそうなると感じていたという記述があります。

だからこそ、どれだけ途中が大変でも、彼らは自分の道を切り開けたのです。


トーマス・エジソンは、「天才とは1パーセントのひらめきと九九パーセントの努力だ」という言葉を残したとされています。

いかに努力が大切かという意味でよく使われる言葉です。


しかし、それだけの努力ができたのは、自分が成功するという「未来が見えていたから」ではないでしょうか。


電灯が光り輝く未来が見えていなければ、六千種類ものフィラメントの材料を試したりはできなかったでしょう。


つまり、最初に「1パーセントのひらめき」があったからこそ、「九九パーセントの努力」ができたともいえるのです。


「決めた未来しか実現しない」サンマーク出版

決めた未来しか実現しない (サンマーク文庫)

 

野球のイチローさんも、子供の時から具体的に自分の未来予測をしていたと言います。


小学校時代でも、放課後友達が遊んでいる時でも「やらなきゃならない事がある」と誘いを断りバッティング練習に明け暮れたそうです。


エジソンさんもイチローさんも未来が見えていた(描いていた未来)のを逆算していき、そのために今、必要な事を、そのたゆまぬ努力で掴み続けていったのかも知れませんね。


努力の先にしか予想するそして、希望する未来は開けないですね!


まずは努力。忘れずにいたいものです!
 

イチローさんの名言
『進化するときっていうのは、カタチはあんまり変わらない。
だけど、見えないところが変わっている。
それがほんとの進化じゃないですかね』

 

あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

人間関係の悩みには?


人生における悩みの大部分は人間関係と言います。
また、仕事を辞める理由の第一位も人間関係とも。

 

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大小様々ですが、誰しも一度は人間関係で悩んだ事もあるはず。

ですが小林正観さんはその解決策を挙げてくれています。

 

人間関係の問題を解決する方法は2つあります。
ひとつは、自分の周りの500人をすべて人格者に変えてしまうことです。

ただ、この方法だと1人を変えるのに、説得に次ぐ説得を重ねて2年くらいはかかるでしょう。

500人を変えるためには1000年かかる勘定になり、事実上これは不可能といえます。


もうひとつの方法は、自分自身が人格者になってしまうことです。

どちらの方法も、結果的には穏やかで、にこやかな温かい日々を得られるとは思いますが、人を変えるということは大変なことです。

なかなか人は変わってくれません。


しかも自分の思いどおりになるとなると、なおさら難しいでしょう。
それをまず理解する必要があります。


周りの人を変えるよりも、「私」が変わるほうがずっと簡単なのです。
なぜなら、変えるべき相手が自分1人だけだからです。


さらに、変えるべき相手が自分ですから、自分が変わりたいように変わればいいからです。


イライラしたくない、腹を立てたくない、人と争いごとをしたくない、何かを言われてもいちいち気にするような自分ではありたくない、と思うのであれば、自分が希望するように、自分をつくり上げればいいわけです。


「私」が人格者になるということは、誰に何を言われても、目の前にどんな現象や出来事が起きても、それについて怒らない、怒鳴らない、イライラしない、声を荒げない、ということにほかなりません。


その結果、周りの人も穏やかな日々を過ごすことができて、得をするでしょう。


でもそれはあくまでも二次的な効果です。

自分が人格者になることによっていちばん得をするのは、ほかならぬ自分なのです。


ある方から2つの解決法について質問がありました。
「小林さんのお話は97%は理解ができました。しかし、あと3%だけ、どうしても理解ができません」


その3%とは、こういうものでした。

「たしかに、自分が人格者になることで、問題は解決するということはわかりました。
でも、小林さんの周りには、穏やかで温かく、素敵な人がたくさんいるのに対し、私は行く先々で、性格も言葉も荒い人たちばかりに会います。
これは明らかに神によって差別をされているとしか思えません。
自分を取り巻いている人間と、正観さんを取り巻いている人間関係が明らかに違うことに納得ができません。それが3%の納得できないことです」


私はそれに対してこう答えました。
私の場合は、もう「訓練終わり、修行終わり」とシナリオに書いたのです。


あなたの場合は、「訓練中、修行中」とまだシナリオで書き続けているので、訓練や修行をさせてくださる先生が、あなたの周りを取り囲んでいるのでしょう。

周りにいる人は、あなたの先生をやってくださっているのです。

ですから、自分で人間関係が大変だと思うのなら、「訓練終わり、修行終わり」と看板に書いてしまえばいいのです。

先生は「訓練終わり、修行終わり」と書いてしまった人を教える必要がないので、もうあなたのところへは集まってこないでしょう。


『ただしい人から、たのしい人へ』廣済堂出版

ただしい人から、たのしい人へ――そして「ありがとうの人」になる

 

斎藤一人さんのお話のなかに『人は困らない』というのがあります。

自分からみた時、勝手に「あれじゃ、今後苦労するだろうに」とか、子供に対しても「大人になってからこのままじゃ心配だー」とか、人の心配をしがち。


でも、相手はそこまで困らない。なんだかんだで、うまくやっていけるものなんですと。

確かに学生時代やんちゃだった友人達も、今じゃあなんだかんだで、しっかりやってたりするもんですしね。


そして、それより大事なのは「自分のご機嫌をとりな」と。
自分で自分のご機嫌を取る方が何百倍も大切と言います。

自分の機嫌が良ければ、それが影響力となりますし、小林正観さんの言う「人格者」にも繋がりそうです。

人間関係の極意はこのあたりに隠れていそうです。
まずは自分のご機嫌を自分でとる。そして人間関係の訓練、修行は終わり!とする。
これを忘れずにいたいですね!


サミュエル・スマイルズさんの名言
『真の人格者は自尊心に厚く、何よりも自らの品性に重きを置く。

しかも、他人に見える品性より、自分にしか見えない品性を大切にする。

それは、心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいるからだ』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように 。

 

 

人生最後に持っていけるものとは?

人生最後の日はなかなか想像できないものです。


もしくは想像したくない、という気持ちもあるかもしれません。自分がこの命をつかって何を行いどう生き抜くのか?


人生最後の日、できればガッツポーズして死ねたらいいですね〜。


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ひすいこたろうさんの書籍の巻頭にはこう書かれています。


命とは「時間」のことです。

こうしてページをめくる間にも、あなたの寿命は縮まりました。

100年後、あなたはこの星にいません。


死ぬと決まっているのに、なぜ、僕らは生まれてくるのでしょう?


人生の最後の瞬間、これまで得たモノ、すべてを手放すのが人生のゴールです。


しかし、人生最後の瞬間、持って還れるものがひとつだけあります。


それが…「思い出」です。


人生最後の日、あなたはどんな「思い出」を持って還りたいですか?


『人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方』A-Works

人生最後の日に ガッツポーズして死ねる たったひとつの生き方


人は裸で産まれて、死ぬ時には地位も名誉も財産も、何も持てず死んでいきます。


その時、唯一持てるのが思い出。


だとすれば家族との思い出、友人との思い出、はたまた今はこんなに苦しいことでさえも、最後には全部良い思い出にしちゃえばいい!


今を精一杯生きればそれは必ず思い出になるから。

 

重松清さんの名言
『ほんとうに悲しいのは、悲しい思い出が残ることじゃないよ。思い出がなにも残らないことが、いちばん悲しいんだよ』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

子供に父親の姿は伝わっている?

昔に比べると父親が子供と関わる機会はとても増えてきていますね。

特にコロナで家族の絆が深まったり、会話する機会も増えたような気はしています。

しかし、やはり母親と比べると、その会話量は少なく、ちょっと煙たがられる存在だったりします。。。

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以下は斎藤茂太さんの書籍より引用させていただきます。

 

「父親不在」と言われてだいぶ経ちます。
しかし、「母親不在」という言葉はあまり聞きません。

仕事で忙しい父親が帰宅したときには、小さな子どもはすでに就眠しており、子どもが朝、目が覚めたときには、父親はすでに出勤して家にいない。

父親が、子どもとお互いに顔を合わせるのは、休日くらい。

その休日に、父親が「接待ゴルフ」で外出してしまっては、子どもは、父親の実像を知らないまま成長することになってしまう。
バブル経済期の、ごくありふれたサラリーマン家庭の日常風景です。

 

10年程前になると思うが、『父性の復権』(林道義中公新書)という本がベストセラーになりました。

これは、現在、日本では健全な父の権威が家庭から消滅の危機に瀕しているので、ここで取り戻しておかないと、将来面倒なことになる、そんな問題提起が多くの読者に支持された結果でしょう。


いまでも、父親の実像を知らないということでは、そんなに変わっていないのではないか。
実像を知らない子どもは、父親の勤める会社の名前を知るのが、精一杯というところでしょう。


子どもにとって、父親は極めて不透明な存在なのです。
家族のなかから、会話などのコミュニケーションが欠ければ、どんなことになるか、もはや言うまでもありません。


指針となるべきお手本がなければ、苦労するのは子ども自身です。


父性の復権から察すれば、母親が健在なだけに、どうやら父性が、家族をしっかりさせるキーポイントのような気がします。
男女平等の社会と言っても、父親の役割は、きわめて重要なのです。


こういう状況では、父親を尊敬しなさい、と言ってもとうてい無理で、現実を見失ってこころに傷を負っている子どもたちが、後を絶たない訳を垣間見るような気がしました。
やはり父親の真の姿をきちんと子どもに伝えるべきなのです。


そのためにも、父親は、機会を見つけて、自分の仕事の話をしてやるべきです。


実際に我が子を職場に連れていければ最高ですが、そうそう簡単にはできない、日本の特殊事情もありますので、まずは、仕事の内容、仕事で苦労するとき、嬉しいとき、やりがい、などいろいろあるはずです。

子どもは、父親の本当の姿を知って、家族の一員として自分を実感するはずです。


『人生に必要な100の言葉』青春出版社

 

たとえ子供といる時間が長かったり、一緒に遊んだりしていても、表面的な部分しか見せずに接していれば、本当の父親の姿を見せているとは言えないかもしれません。


そういえば、確かに以前子供達を仕事場に連れていった時、すごく嬉しそうだったのを思い出しました。

出合った大人の人にビックリされたら「社会科見学です」って言いなーって。(笑)


特に子供が社会に出てからの仕事については親が思うより興味深く、いろいろ知りたいことかも知れませんね。


やりがいや愉しさ、なんの為にという事について積極的に話していきたいものですね!



ドロシー・ロー・ノルトさんの名言

『誉めてあげれば、子供は明るい子に育つ
愛してあげれば、子供は人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子供は自分が好きになる
見つめてあげれば、子供は頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子供は思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子供は正義感のある子に育つ
優しく、思いやりをもって育てれば、子供は優しい子に育つ
守ってあげれば、子供は強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば
子供はこの世の中はいいところだと思えるようになる』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

もっとも恐しいのは存在を無視されながら生きる事


トルストイの原作アニメ、『くつやのマルチン』というのはご存知ですか?
私は知らなかったのですが愛のある行動の学びがあるお話だそうです。

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以下は弁護士の湯川久子さんの書籍よりそのお話の引用です。

昔、何気なくテレビのアニメーションを見ていたとき、私が惹きつけられたのが『くつやのマルチン』という物語でした。
原作はトルストイの童話です。


マルチンは老いた靴屋で、一人ぼっちで寂しく暮らしていました。
最愛の妻に先立たれて、息子と二人で暮らしていましたが、やがて息子も病気のために死んでしまいます。

マルチンは生きる望みを失い、友だちが祭りに誘っても行く気にさえならず、引きこもっていたのです。
ある日、訪ねてきた牧師から「古い聖書を綴じ直して欲しい」と頼まれます。

その夜、聖書を読みながら眠ってしまったマルチンに、神からのお告げがあったのです。
「明日おまえを訪ねるからね」と。


翌日、マルチンは朝早く目を覚ましました。
いつもと気分は違っています。
神様を出迎えるために一生懸命部屋を掃除していると、外に雪かきの掃除人を見かけて温かい紅茶をご馳走しました。
掃除人はとても嬉しそうでした。


しばらくすると、赤ちゃんを抱いた婦人が真冬の寒さの中、コートも着ないで歩いていました。
マルチンは家に婦人を招き入れ、暖炉で温まってもらい、パンとシチューを食べさせ、自分の肩掛けをあげたのです。


すっかり薄暗くなったころ、マルチンの店の前をりんご売りのおばあさんが通りかかり、カゴを肩から下ろして座り込みました。
そこへ、貧しい少年がやってきてりんごを奪って逃げたのです。

マルチンは、大急ぎで少年をつかまえておばあさんには子どもをゆるしてくれるように頼み、子どもにはりんごを一つ買って手渡しました。


結局、神は現れませんでしたが、自分が世界で一番憐れだと思っていたマルチンは、もっとかわいそうな人がいることに気づきます。

そして、自分のような者でも、人にやさしくしてあげられることがわかり、何だか心の中がとても温かくなっていくのでした。


その日の夜、マルチンが椅子に座って聖書を開くと、神が現れて、「今日おまえが出会った者たちはすべて私だよ」と語るのです。


実は、この『くつやのマルチン』の原題は『愛のあるところに、神もある』というものです。

私たちが愛のある行動をとるとき、そこに神がおられるのだということを伝えています。
すべてのものを神を扱うように大切に扱えば、心豊かにあたたかい気持ちになれ、孤独や不幸な思いは消えてしまうのだということ。


それに気づいたマルチンは、本来のやさしくて活動的な自分を思い出し、親友と一緒に町のお祭りへと出かけていくのです。


私は、胸の奥がツンとするのを感じました。
人は、どんな目にあっても愛のある場所から再出発することができるのだと感じたからです。


『くつやのマルチン』には、多くの孤独な人たちが登場します。
雪かき掃除人、赤ちゃんを抱いた婦人、りんご売りのおばあさん、貧しい少年。


マルティンが失意のもとに閉じこもっていたときは、誰一人、マルチンの目には映らなかった人たちです。

そして、マルチン自身も、誰からも見てもらえていない存在だったのです。
孤独や死というのは、誰にとっても怖いものですが、もっと恐ろしいのは、存在を無視されながら生きるということ。

それは、生きながらにして死んでいるようなものです。


すべての人、すべてのものには神が宿るのだということ。

それらを大切に扱うことは、つまり、自分を大切に扱うことに等しいのだということ。
これは、日本には古くから伝わる八百万の神の考え方に通じるものがあります。

愛を持って行動していけば、そこには必ず、つながりが生まれ、孤独から抜け出すことができます。


『ほどよく距離を置きなさい』サンマーク出版

ほどよく距離を置きなさい

 愛の反対は無関心と言われますが、自分の殻から出て、愛をもって関わり続けることで、道は開けるはずですね。

人は産まれた時から、親や周囲の人々の愛によって生かされてきました。
そのように人は決して一人では生きていけない、いきものですから孤独から抜け出し、積極的に愛を持って周囲と関わっていきたいものです。


エリ・ヴィーゼルさんの名言
『愛の反対は憎しみではなく、無関心です。
美しさの反対は、醜さではなく、無関心です。
信仰の反対は異端ではなく、無関心です。
人生の反対は死ではなく、生と死の間の無関心です。』


『愛の反対は無関心』はマザー・テレサさんの言葉かと思ってましたが、実際にはマザー・テレサさんの話のニュアンスはちょっと違ったようです。


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。