他責の人から、自分が源泉と考えられる人へ
スポーツで試合後インタビューでは「仲間の助けがあったから!」や「支えてくれる人達のおかげです!」という方がすごく多いですよね!
逆にうまくいかなかった際には「自分の努力がまだ足りない部分がわかりました!」と自分に矢印を向け改善に向かっている方もいます。
でも中には逆の人もいますがそんな方は・・・。
この変化に富んだVUCAの時代(「Volatility:変動性」「Uncertainty:不確実性」「Complexity:複雑性」「Ambiguity:曖昧性」)において自責の人間でいること、自分が源泉なのだと考えられるような人でいることはアスリートでなくても必須かもしれません。
本日はビジネスだけでなく、スポーツ界ななどでも、多くの分野に科学的なメンタルマネージメントの導入を行ったメンタルトレーニング指導の国内第一人者である西田文郎さんの書籍より気付きを。
「チームメートのミスが敗因だ」
「監督やコーチの責任だ」
そう考える他責の人間はアスリートとして大成しません。
これまで多くのアスリートを見てきたので、はっきり断言できます。
真剣にスポーツに打ち込んでいる人はよくご存じですが、じつは負け試合ほど大切なものはないのです。
自分のウィークポイントを発見し、それを修正し、自分の能力を高める絶好のチャンスがそこにあります。
誰かを非難する気持ちになったとたん、その反省が起こらなくなるのです。
自分自身の成長のために反省できるのは、「自責」の人間だけです。
ここで言う「自責」とは、自分を責めることではありません。
どんな困難な状況に置かれても、「これは自分の責任である」「この問題は自分に与えられた課題である」「私の試練だ」と考えられる人間のメンタリティです。
「ピンチはチャンスである」
こういう言葉をよく耳にします。
でも、気をつけてください。
他責の人間にピンチは存在しません。
誰かのせいにすることで、目の前にあるピンチに向き合うことを避けているのですから。
ですからみなさんも、「不況のせいだ」「円高が悪いんだ」「私が不幸なのはこの人と結婚しちゃったからだ」「モテないのは背が低いからだ」などという、自分をちっぽけなものにしてしまう他責の発想とは、今すぐ縁を切ってください。
目の前に赤いりんごが置かれているとします。
「食べたら美味しそうだ」と思う人もいます。
「きれいだ。一つ絵に描こう」と感じる人もいます。
「りんごは嫌いだ。捨てちまえ」と思う人や、もしかすると「これを誰かに投げつけたら面白そうだ」と、危険な発想をする人がいないとも限りません。
その点で、私たちはおそろしいほど自由です。
不況や円高、消費の低迷や失業率も、このりんごと同じです。
それらは単なる客観的材料、環境的材料でしかありません。
間違ってもあなたが抱える悩みの原因ではないし、その理由でも決してないのです。
一つの試練として、そこに置かれているだけです。
引用:『一言で強運になる「かも」の法則』知的生き方文庫
ついつい、気がついた時に環境や人のせいにしていること、う〜ん、あるあるです。
でも、それは人間ですからあっても良いのだとも思います。
大切なのはそれに気づけることなのかも知れません。
目の前に起こる試練を避けているのことに気がつければ、まずはそれでオッケーですね。
次に自分がどう行動すれば良いかを考える機会になるのだから。
思考停止状態で現状維持することは実は後退です。
まずは考えて行動するのみですね!
【P・F・ドラッカーさんの名言】
「コップに水が『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる」
イノベーション、起こしてますか?
あなたの毎日がワクワクに溢れますように。