「それくらい分かってよ〜」は科学的じゃない
仲間との絆関係が順調な時ほど注意する必要がある事があります。
それは行動科学マネジメントの石田淳さんが教えてくれています。
よく、「これ、早めに頼むよ」と部下に仕事を任せる上司がいる。
「あまり細かいことをいうのはうるさがられそうだし、そんなこと言わなくたってわかっているだろう」と思うのかもしれない。だが、上司の考える「早め」と、部下の考える「早め」は違う。
上司は明日までにやってもらいたいと考えていても、部下は「今週中でいいだろう」と考えるかもしれない。
こういう場合も、「これ、明日の5時までに頼むよ」と具体的に指示を出すのがベストだ。
そうすれば、部下も今抱えている仕事の進行状況を考えて、その仕事を引き受けられるかどうかの判断ができる。
勝手に自分の尺度で期待しておいて、翌日の夕方になってから、「何でできていないんだ!」と怒るのは、ひどい話なのだ。
「あうんの呼吸」で分かり合えるのは理想的だが、夫婦であっても長年一緒に過ごさないと、そこまでの域には達しない。細かすぎると思うぐらいに細かく伝えないと、相手には分かってもらえない。「あまり細かく指導すると、部下は自分の頭で考えなくなってしまいませんか?」
セミナーで、こんな質問をよく受ける。そのたびに、私は「子供のお使い」を例に出して説明する。
何度もお使いに行っているような、小学校6年生の子供に、「ジャガイモ1袋とバナナ1房を買ってきてほしい」とお金を渡しても、おそらく何も問題はないだろう。
これが、小学校1年生の、初めてお使いに行く子供だったらどうだろう。
いつも親といっしょに行っているスーパーであっても、ひとりで行けるかどうかもわからない。
そこで、スーパーまでの行き方を地図に描き、それを見せながら口頭で確認するはずだ。「ここがいつも通っている大きな道よ。その道を渡るときは、必ず信号のある横断歩道で青になるのを待ってからね」
無事にスーパーについてからも大変だ。「入口の右側に野菜売り場があるの。じゃがいもは下のほうに置いてあることが多いから」
さらには、もしも道に迷ったときのために、家の電話番号を書いたメモ も渡すだろう。
ここまでやって、「ジャガイモ1袋とバナナ1房を買ってきて欲しい」は伝わるのだ。
社会人も同じである。
人生に対して、「大雑把に言えば分かるだろう」は通用しない。「ひとつひとつ細かく伝えなくては間違って当然だ」と考えるべきである。
店長からの報告書を読んでいると、
「もっと積極的に来月は取り組みます」とか「全面的に展開していきます」といった内容が多くあります。
つい気持ちは伝わるのでスルーしてしまいそうになりますが、果たして店のメンバーにはこれで伝わるのか?というと伝わらないんです。
店長の考える積極的と、スタッフの積極的、その具合は果たして同じなのか?それはきっと違うと思います。
曖昧な指示からはそれなりの成果にしか繋がらないと言う事を忘れてはいけないのですね。
ただし、 ここでの注意点は、その店長に例えば、「『全面的に展開する』の全面的っていうのは、どうすることが全面的といえるのか?というところをスタッフに伝えていかないとダメなんだよ」
と、伝えてしまうと今度は店長がやらされている感にさいなまれます。
そうではなくて、「私が思う全面的っていうのは具体的に◯◯することだと思うんたけど君はどうかな?そして指示受けるスタッフはどう取るかな?」と問いかけながら仮説⇨検証し、答えを出せる習慣を促すことが重要。
自分達だけで動けるのも大事ですが、共に考える場も持つのも大切になってきますね〜。
つい絆が深いほど、阿吽の呼吸で「その位分かるはず」となりがちですが、行動分解して伝える思考を、常に持っていたいものです。
あなたの毎日がワクワクに溢れますように。