ワクワクする「名言」で1ミリ前進

毎日を1ミリでもワクワクに。気楽に読める内容です。

未来に起こる事が見える人は

スポーツの世界などでは良く、[ゾーン]に入ると「動きがスローになる」とか「時間の感覚がなくなる」などの現象がおこると言われます。

心理学者のミハイ·チクセントミハイさんの言う「フロー」状態も同様だと思います。

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これに近い状態で、未来に起こることが[見える]ことがあると言います。

本田健さんの著書中にこんな内容がありました。

 

野球の名選手のなかには、ヒットやホームランを打ったときに、「いつ打ちやすい球が来るかがわかっていた」という人がいます。

優れたお医者さんのなかには、次に診察する患者さんの病状がわかってしまう、という人もいます。


これらは「思っていたことが、たまたま現実になった」という見方もできますが、「すでにある未来を先取りして見た」というとらえ方もできるでしょう。


伝記を読んでも、会社が上場する、大統領になる、ノーベル賞を取るといったことを、何十年も前から本人がそうなると感じていたという記述があります。

だからこそ、どれだけ途中が大変でも、彼らは自分の道を切り開けたのです。


トーマス・エジソンは、「天才とは1パーセントのひらめきと九九パーセントの努力だ」という言葉を残したとされています。

いかに努力が大切かという意味でよく使われる言葉です。


しかし、それだけの努力ができたのは、自分が成功するという「未来が見えていたから」ではないでしょうか。


電灯が光り輝く未来が見えていなければ、六千種類ものフィラメントの材料を試したりはできなかったでしょう。


つまり、最初に「1パーセントのひらめき」があったからこそ、「九九パーセントの努力」ができたともいえるのです。


「決めた未来しか実現しない」サンマーク出版

決めた未来しか実現しない (サンマーク文庫)

 

野球のイチローさんも、子供の時から具体的に自分の未来予測をしていたと言います。


小学校時代でも、放課後友達が遊んでいる時でも「やらなきゃならない事がある」と誘いを断りバッティング練習に明け暮れたそうです。


エジソンさんもイチローさんも未来が見えていた(描いていた未来)のを逆算していき、そのために今、必要な事を、そのたゆまぬ努力で掴み続けていったのかも知れませんね。


努力の先にしか予想するそして、希望する未来は開けないですね!


まずは努力。忘れずにいたいものです!
 

イチローさんの名言
『進化するときっていうのは、カタチはあんまり変わらない。
だけど、見えないところが変わっている。
それがほんとの進化じゃないですかね』

 

あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

人間関係の悩みには?


人生における悩みの大部分は人間関係と言います。
また、仕事を辞める理由の第一位も人間関係とも。

 

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大小様々ですが、誰しも一度は人間関係で悩んだ事もあるはず。

ですが小林正観さんはその解決策を挙げてくれています。

 

人間関係の問題を解決する方法は2つあります。
ひとつは、自分の周りの500人をすべて人格者に変えてしまうことです。

ただ、この方法だと1人を変えるのに、説得に次ぐ説得を重ねて2年くらいはかかるでしょう。

500人を変えるためには1000年かかる勘定になり、事実上これは不可能といえます。


もうひとつの方法は、自分自身が人格者になってしまうことです。

どちらの方法も、結果的には穏やかで、にこやかな温かい日々を得られるとは思いますが、人を変えるということは大変なことです。

なかなか人は変わってくれません。


しかも自分の思いどおりになるとなると、なおさら難しいでしょう。
それをまず理解する必要があります。


周りの人を変えるよりも、「私」が変わるほうがずっと簡単なのです。
なぜなら、変えるべき相手が自分1人だけだからです。


さらに、変えるべき相手が自分ですから、自分が変わりたいように変わればいいからです。


イライラしたくない、腹を立てたくない、人と争いごとをしたくない、何かを言われてもいちいち気にするような自分ではありたくない、と思うのであれば、自分が希望するように、自分をつくり上げればいいわけです。


「私」が人格者になるということは、誰に何を言われても、目の前にどんな現象や出来事が起きても、それについて怒らない、怒鳴らない、イライラしない、声を荒げない、ということにほかなりません。


その結果、周りの人も穏やかな日々を過ごすことができて、得をするでしょう。


でもそれはあくまでも二次的な効果です。

自分が人格者になることによっていちばん得をするのは、ほかならぬ自分なのです。


ある方から2つの解決法について質問がありました。
「小林さんのお話は97%は理解ができました。しかし、あと3%だけ、どうしても理解ができません」


その3%とは、こういうものでした。

「たしかに、自分が人格者になることで、問題は解決するということはわかりました。
でも、小林さんの周りには、穏やかで温かく、素敵な人がたくさんいるのに対し、私は行く先々で、性格も言葉も荒い人たちばかりに会います。
これは明らかに神によって差別をされているとしか思えません。
自分を取り巻いている人間と、正観さんを取り巻いている人間関係が明らかに違うことに納得ができません。それが3%の納得できないことです」


私はそれに対してこう答えました。
私の場合は、もう「訓練終わり、修行終わり」とシナリオに書いたのです。


あなたの場合は、「訓練中、修行中」とまだシナリオで書き続けているので、訓練や修行をさせてくださる先生が、あなたの周りを取り囲んでいるのでしょう。

周りにいる人は、あなたの先生をやってくださっているのです。

ですから、自分で人間関係が大変だと思うのなら、「訓練終わり、修行終わり」と看板に書いてしまえばいいのです。

先生は「訓練終わり、修行終わり」と書いてしまった人を教える必要がないので、もうあなたのところへは集まってこないでしょう。


『ただしい人から、たのしい人へ』廣済堂出版

ただしい人から、たのしい人へ――そして「ありがとうの人」になる

 

斎藤一人さんのお話のなかに『人は困らない』というのがあります。

自分からみた時、勝手に「あれじゃ、今後苦労するだろうに」とか、子供に対しても「大人になってからこのままじゃ心配だー」とか、人の心配をしがち。


でも、相手はそこまで困らない。なんだかんだで、うまくやっていけるものなんですと。

確かに学生時代やんちゃだった友人達も、今じゃあなんだかんだで、しっかりやってたりするもんですしね。


そして、それより大事なのは「自分のご機嫌をとりな」と。
自分で自分のご機嫌を取る方が何百倍も大切と言います。

自分の機嫌が良ければ、それが影響力となりますし、小林正観さんの言う「人格者」にも繋がりそうです。

人間関係の極意はこのあたりに隠れていそうです。
まずは自分のご機嫌を自分でとる。そして人間関係の訓練、修行は終わり!とする。
これを忘れずにいたいですね!


サミュエル・スマイルズさんの名言
『真の人格者は自尊心に厚く、何よりも自らの品性に重きを置く。

しかも、他人に見える品性より、自分にしか見えない品性を大切にする。

それは、心の中の鏡に自分が正しく映ることを望んでいるからだ』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように 。

 

 

人生最後に持っていけるものとは?

人生最後の日はなかなか想像できないものです。


もしくは想像したくない、という気持ちもあるかもしれません。自分がこの命をつかって何を行いどう生き抜くのか?


人生最後の日、できればガッツポーズして死ねたらいいですね〜。


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ひすいこたろうさんの書籍の巻頭にはこう書かれています。


命とは「時間」のことです。

こうしてページをめくる間にも、あなたの寿命は縮まりました。

100年後、あなたはこの星にいません。


死ぬと決まっているのに、なぜ、僕らは生まれてくるのでしょう?


人生の最後の瞬間、これまで得たモノ、すべてを手放すのが人生のゴールです。


しかし、人生最後の瞬間、持って還れるものがひとつだけあります。


それが…「思い出」です。


人生最後の日、あなたはどんな「思い出」を持って還りたいですか?


『人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方』A-Works

人生最後の日に ガッツポーズして死ねる たったひとつの生き方


人は裸で産まれて、死ぬ時には地位も名誉も財産も、何も持てず死んでいきます。


その時、唯一持てるのが思い出。


だとすれば家族との思い出、友人との思い出、はたまた今はこんなに苦しいことでさえも、最後には全部良い思い出にしちゃえばいい!


今を精一杯生きればそれは必ず思い出になるから。

 

重松清さんの名言
『ほんとうに悲しいのは、悲しい思い出が残ることじゃないよ。思い出がなにも残らないことが、いちばん悲しいんだよ』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

子供に父親の姿は伝わっている?

昔に比べると父親が子供と関わる機会はとても増えてきていますね。

特にコロナで家族の絆が深まったり、会話する機会も増えたような気はしています。

しかし、やはり母親と比べると、その会話量は少なく、ちょっと煙たがられる存在だったりします。。。

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以下は斎藤茂太さんの書籍より引用させていただきます。

 

「父親不在」と言われてだいぶ経ちます。
しかし、「母親不在」という言葉はあまり聞きません。

仕事で忙しい父親が帰宅したときには、小さな子どもはすでに就眠しており、子どもが朝、目が覚めたときには、父親はすでに出勤して家にいない。

父親が、子どもとお互いに顔を合わせるのは、休日くらい。

その休日に、父親が「接待ゴルフ」で外出してしまっては、子どもは、父親の実像を知らないまま成長することになってしまう。
バブル経済期の、ごくありふれたサラリーマン家庭の日常風景です。

 

10年程前になると思うが、『父性の復権』(林道義中公新書)という本がベストセラーになりました。

これは、現在、日本では健全な父の権威が家庭から消滅の危機に瀕しているので、ここで取り戻しておかないと、将来面倒なことになる、そんな問題提起が多くの読者に支持された結果でしょう。


いまでも、父親の実像を知らないということでは、そんなに変わっていないのではないか。
実像を知らない子どもは、父親の勤める会社の名前を知るのが、精一杯というところでしょう。


子どもにとって、父親は極めて不透明な存在なのです。
家族のなかから、会話などのコミュニケーションが欠ければ、どんなことになるか、もはや言うまでもありません。


指針となるべきお手本がなければ、苦労するのは子ども自身です。


父性の復権から察すれば、母親が健在なだけに、どうやら父性が、家族をしっかりさせるキーポイントのような気がします。
男女平等の社会と言っても、父親の役割は、きわめて重要なのです。


こういう状況では、父親を尊敬しなさい、と言ってもとうてい無理で、現実を見失ってこころに傷を負っている子どもたちが、後を絶たない訳を垣間見るような気がしました。
やはり父親の真の姿をきちんと子どもに伝えるべきなのです。


そのためにも、父親は、機会を見つけて、自分の仕事の話をしてやるべきです。


実際に我が子を職場に連れていければ最高ですが、そうそう簡単にはできない、日本の特殊事情もありますので、まずは、仕事の内容、仕事で苦労するとき、嬉しいとき、やりがい、などいろいろあるはずです。

子どもは、父親の本当の姿を知って、家族の一員として自分を実感するはずです。


『人生に必要な100の言葉』青春出版社

 

たとえ子供といる時間が長かったり、一緒に遊んだりしていても、表面的な部分しか見せずに接していれば、本当の父親の姿を見せているとは言えないかもしれません。


そういえば、確かに以前子供達を仕事場に連れていった時、すごく嬉しそうだったのを思い出しました。

出合った大人の人にビックリされたら「社会科見学です」って言いなーって。(笑)


特に子供が社会に出てからの仕事については親が思うより興味深く、いろいろ知りたいことかも知れませんね。


やりがいや愉しさ、なんの為にという事について積極的に話していきたいものですね!



ドロシー・ロー・ノルトさんの名言

『誉めてあげれば、子供は明るい子に育つ
愛してあげれば、子供は人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子供は自分が好きになる
見つめてあげれば、子供は頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子供は思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子供は正義感のある子に育つ
優しく、思いやりをもって育てれば、子供は優しい子に育つ
守ってあげれば、子供は強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば
子供はこの世の中はいいところだと思えるようになる』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

もっとも恐しいのは存在を無視されながら生きる事


トルストイの原作アニメ、『くつやのマルチン』というのはご存知ですか?
私は知らなかったのですが愛のある行動の学びがあるお話だそうです。

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以下は弁護士の湯川久子さんの書籍よりそのお話の引用です。

昔、何気なくテレビのアニメーションを見ていたとき、私が惹きつけられたのが『くつやのマルチン』という物語でした。
原作はトルストイの童話です。


マルチンは老いた靴屋で、一人ぼっちで寂しく暮らしていました。
最愛の妻に先立たれて、息子と二人で暮らしていましたが、やがて息子も病気のために死んでしまいます。

マルチンは生きる望みを失い、友だちが祭りに誘っても行く気にさえならず、引きこもっていたのです。
ある日、訪ねてきた牧師から「古い聖書を綴じ直して欲しい」と頼まれます。

その夜、聖書を読みながら眠ってしまったマルチンに、神からのお告げがあったのです。
「明日おまえを訪ねるからね」と。


翌日、マルチンは朝早く目を覚ましました。
いつもと気分は違っています。
神様を出迎えるために一生懸命部屋を掃除していると、外に雪かきの掃除人を見かけて温かい紅茶をご馳走しました。
掃除人はとても嬉しそうでした。


しばらくすると、赤ちゃんを抱いた婦人が真冬の寒さの中、コートも着ないで歩いていました。
マルチンは家に婦人を招き入れ、暖炉で温まってもらい、パンとシチューを食べさせ、自分の肩掛けをあげたのです。


すっかり薄暗くなったころ、マルチンの店の前をりんご売りのおばあさんが通りかかり、カゴを肩から下ろして座り込みました。
そこへ、貧しい少年がやってきてりんごを奪って逃げたのです。

マルチンは、大急ぎで少年をつかまえておばあさんには子どもをゆるしてくれるように頼み、子どもにはりんごを一つ買って手渡しました。


結局、神は現れませんでしたが、自分が世界で一番憐れだと思っていたマルチンは、もっとかわいそうな人がいることに気づきます。

そして、自分のような者でも、人にやさしくしてあげられることがわかり、何だか心の中がとても温かくなっていくのでした。


その日の夜、マルチンが椅子に座って聖書を開くと、神が現れて、「今日おまえが出会った者たちはすべて私だよ」と語るのです。


実は、この『くつやのマルチン』の原題は『愛のあるところに、神もある』というものです。

私たちが愛のある行動をとるとき、そこに神がおられるのだということを伝えています。
すべてのものを神を扱うように大切に扱えば、心豊かにあたたかい気持ちになれ、孤独や不幸な思いは消えてしまうのだということ。


それに気づいたマルチンは、本来のやさしくて活動的な自分を思い出し、親友と一緒に町のお祭りへと出かけていくのです。


私は、胸の奥がツンとするのを感じました。
人は、どんな目にあっても愛のある場所から再出発することができるのだと感じたからです。


『くつやのマルチン』には、多くの孤独な人たちが登場します。
雪かき掃除人、赤ちゃんを抱いた婦人、りんご売りのおばあさん、貧しい少年。


マルティンが失意のもとに閉じこもっていたときは、誰一人、マルチンの目には映らなかった人たちです。

そして、マルチン自身も、誰からも見てもらえていない存在だったのです。
孤独や死というのは、誰にとっても怖いものですが、もっと恐ろしいのは、存在を無視されながら生きるということ。

それは、生きながらにして死んでいるようなものです。


すべての人、すべてのものには神が宿るのだということ。

それらを大切に扱うことは、つまり、自分を大切に扱うことに等しいのだということ。
これは、日本には古くから伝わる八百万の神の考え方に通じるものがあります。

愛を持って行動していけば、そこには必ず、つながりが生まれ、孤独から抜け出すことができます。


『ほどよく距離を置きなさい』サンマーク出版

ほどよく距離を置きなさい

 愛の反対は無関心と言われますが、自分の殻から出て、愛をもって関わり続けることで、道は開けるはずですね。

人は産まれた時から、親や周囲の人々の愛によって生かされてきました。
そのように人は決して一人では生きていけない、いきものですから孤独から抜け出し、積極的に愛を持って周囲と関わっていきたいものです。


エリ・ヴィーゼルさんの名言
『愛の反対は憎しみではなく、無関心です。
美しさの反対は、醜さではなく、無関心です。
信仰の反対は異端ではなく、無関心です。
人生の反対は死ではなく、生と死の間の無関心です。』


『愛の反対は無関心』はマザー・テレサさんの言葉かと思ってましたが、実際にはマザー・テレサさんの話のニュアンスはちょっと違ったようです。


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

ものまね四天王のコロッケさんに学ぶ

モノマネで人気のコロッケさんは誰かに弟子入りして、モノマネを学んだのではないそうです。

 

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誰かに直接習うのではなく、観察や洞察を続けてテクニックを自分らしく磨いて行った。

そしてそれが他の芸人さんとの差別化となり、独自性となっていったんですね!

最初に門を叩いたスナックでのお客様の反応、初めてテレビ出演したときの高揚感、ものまね四天王時代に喜んでくださったお茶の間のみなさん、そして、私のステージに足を運んでくださるお客様…。

とっても幸せな条件が重なって、いまの私がいます。


考えれば考えるほど、自分が幸運な人間だと思えてなりません。
それだけは間違いありません。

 

ものまねとは、非常に感覚的な芸です。
表情や声を似せるということに、万能の方法論はありません。


私には、ものまねにおける絶対的な師匠は存在しません。

誰かに弟子入りしたわけでもないので、一般的な芸人の世界とは違うところからキャリアがスタートしましたし、芸能界という世界の見方も、ほかの芸人さんたちとは違っているかもしれません。


けれども、それが功を奏したのだと思います。
大多数が歩んだところにいないから、周囲の状況を観察するようになった。


観察や洞察の連続が、私をものまね芸人として成長させてくれた。
自己流、独学でものまねのテクニックを積んできた私が、こうして続けてくることができました。


私が大切にしている三つの心がまえがあります。

ひとつは「気付くか、気付かないか」。

二つ目が「やるか、やらないか」。

三つ目が「できるか、できないか」。

 

「気付くか、気付かないか」は、気付いて一年間、それに気を付けて過ごすのと、気を付けないで過ごす人とでは、一年の差が出るということです。


「やるか、やらないか」は、実践できるかどうかの問題で、気付いていても、いろいろなことを理由に実行に移さない人はたくさんいます。
そこで、やれるかということです。
ここでつまづいてしまう人が多いかもしれません。


そして、「できるか、できないか」。
これは、自分が実行に移したものを、今後五年間、あるいは十年という期間、継続できるかということです。


人間という生き物は、日々の生活に追われているといろいろなことに気付かなくなってしまいます。
または、気付いても、忙しさにかまけて実行できなくなってしまう弱い生き物なんですよね。

行動に移せても、継続することは本当に困難…。

でもそれができれば、最終的には周囲の信頼を獲得できるのです。


『マネる技術』講談社+α新書

マネる技術 (講談社+α新書)

 
コロッケさんの大事にする3つの心構え。
気づく、行動する、継続する。

これらは基本のようで、なかなか実践し続けるのが難しいことです。

芸の世界も商人の世界も、いやむしろ人生の全てにおいてこの心構えが大切なのは共通していますね。

だれかに喜んでもらうためには、コロッケさんのように普段から観察や洞察を続ける。そして、それを徹底してやりつづける。

つまりは感性のアンテナを常に伸ばして自分のものにしていくことが大切ですね!

 

ナポレオン・ヒルさんの名言

『物事の基礎を学ぶうえで、他人の真似をすることは、むしろ好ましいことである。問題は単なる真似なのか、真似を通じて自分のスタイルを作っていくかである。単なる物真似は、進歩の放棄でしかない』


あなたの毎日がワクワクに溢れますように。

 

あなたの頭、満杯になっている?

インプットよりもアウトプットが大事だと言われます。
まずは「たくさんの知識を頭に入れれば情熱を持ってやるべきことに向かえるはず!」と考えてしまいがち。

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しかし、マーク・ネポさんの著書によると、「情熱は知恵ではない」と説かれています。

二人の科学者が、ヒンドゥー教の聖者に自分たちの理論をどう思うかを尋ねるために、地球を半周して会いに行った。

到着すると、聖者は喜んで二人を自分の庭園に案内し、茶を振る舞おうとした。
二つの小さなカップがいっぱいになっても、聖者は茶を注ぎ続けた。


茶がカップからあふれ出したので、科学者は礼儀正しく、しかしおずおずと「師よ、カップにはそれ以上お茶は入りません」と言った。


聖者は茶を注ぐのをやめ、こう言った。


「あなた方の頭はこのカップのようだ。
知識で満杯になっておる。
頭を空っぽにして、もう一度来なさい。
それから話をしよう」

(リロイ・リトル・ベア 北米の先住民文化教授)

 

口説き文句を覚えたからといって、情熱的だというわけではありません。


偉大なカナダ人の学者ノースロップ・フライは、空気力学の原理を理解しているからといって、飛行体験とは何の関係もない、と指摘しています。


生活の中で感動することが少なかったり、あるいは、自分が知っていることと実際の自分自身との間にギャップがあるならば、それは、あなたの頭が、聖者のティーカップのように、満杯になっているのです。


情熱は知恵ではありません。


頭は偉大でかけがえのない道具ではありますが、知識を蓄えても感じることはできませんし、分類はできても真に理解することはできません。


ビーバーのように、重要なものを集めてダムをつくれるだけです。
口に食べ物がいっぱい詰まっていては話ができないように、消化できない情報が詰まった頭で、物事をありありと感じることなんてできるわけがありません。


では、どうすればいいのでしょう。


それは、考えすぎないことです。
情報を溜め込んだりしないことです。
疑いばかりを再生しないことです。


やらなければならないことが際限なく挙がっているリストの中から、一番重要なものを選び、リストを破り捨てたあとで、それをきちんとやり遂げることです。


『「自分を変える」心の磨き方』“野口嘉則訳”三笠書房

「自分を変える」心の磨き方: 迷っても、つまずいても、もっと「幸せ」になれる!

 

あれもこれもとやることリストを作ることで一杯になり、大切な時間を無駄にしがちです。

インプットはもちろん大切なのですが、それをどう活かすか?
また、行動に情熱をもって取り組むことは別のこと。

頭でっかちになるくらいなら、空っぽでもいい、情熱だけで走り抜ける気概、もち続けたいものです!


アイザック・バシェヴィス・シンガーさんの名言

『私達は、人が何を考えているかを、その人が考えを語る時でなく、その人の行動で知るのだ』

 

あなたの毎日がワクワクに溢れますように。